レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/02/01
- 登録日時
- 2013/03/29 00:30
- 更新日時
- 2013/03/29 00:30
- 管理番号
- 滋2012-0111
- 質問
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未解決
江戸幕府の旗本奥山重次が江戸時代前期に、近江国神崎郡で所領を与えられているが、その時期と場所・石高を知りたい。また同家の子孫は幕末期には奥山主税と名乗ったが、その時期の所領村と石高も知りたい。
- 回答
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『八日市市史 第3巻 』によりますと、「重成の子重次(しげつぐ)(重勝)は徳川秀忠(ひでただ)の書院番となり、寛永二年(一六二五)近江国神崎郡と美濃国安八・山県二郡のうちにおいて一〇〇〇石余の領知朱印状を下された。ちょうど、三淵藤利のときと同時で、上日吉村五二七石一斗六升を藤利と折半して二六三石五斗八升、浜野村も同じく折半して一七四石四斗二升五合ずつとし、ほかに八日市村を井伊・三淵二氏と分けて七六石八斗七升、合計五一四石八斗七升五合となる。残りの五〇〇石は美濃国にあったものであろう。」とあります。また、奥山主税の所領ですが、旧領取調帳 近畿編』に明治元年(1868)の近江国の領主と所領村・石高が掲載されています。同資料によりますと、奥山主税の所領村・石高は、「上日吉村 263石5800」、「浜野村 159石5500」、「八日市村 76石8700」とあります。なお、神崎郡上日吉村は現在東近江市建部日吉町に、浜野村は東近江市八日市浜野町に、八日市村は東近江市八日市町になっています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 1 八日市市史 第3巻 近世 八日市市史編さん委員会∥編 八日市市役所 1986年 S-2142-3 p.204-205
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2 旧高旧領取調帳 近畿編 木村礎∥校訂 近藤出版社 1975年 S-2508- 75 p.297-298
- キーワード
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- 奥山重次
- 奥山重勝
- 奥山主税
- 旗本
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000129844