レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/12/06
- 登録日時
- 2012/07/05 02:00
- 更新日時
- 2024/01/15 13:51
- 管理番号
- 横浜市中央1797
- 質問
-
未解決
明治期の横浜にはたくさんのマツが植林されていたので、平潟湾の製塩の燃料に使用したのではないかと考えている。
このことについて記述のある資料があれば、紹介してほしい。
なお、以下の資料は調査済み。
・『江戸内湾塩業史の研究』落合功/著 吉川弘文館 1999
・『近世日本塩業の研究』河手龍海/著 塙書房 1971
・『幕末の農民群像』横浜近世史研究会/編 横浜開港資料館 1988
・『現代日本生物誌 6 マツとシイ』林良博/編 , 武内和彦/編 岩波書店 2000
・『金沢の100年 六浦県から海の公園まで』内田四方蔵/著 横浜市金沢図書館 1987
・『翔べ金沢 太陽と潮騒と緑の丘』
金沢区・市制100周年・区制40周年記念事業実行委員会出版部会/編
金沢区市政100周年区制40周年記念事業 1989
・『図説かなざわの歴史』金沢区制五十周年記念事業実行委員会/編
金沢区制五十周年記念事業実行委員会 2001
- 回答
-
残念ながら、平潟湾(横浜市金沢区)の製塩でマツが燃料として使われていたとの記述がある
資料や情報は、見つかりませんでした。
調査資料は下記の通りです。
1 横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/
平潟湾、塩業、塩田、塩木などのキーワードを入力し関連のありそうな資料を探してみま
したが、見つかりませんでした。
2 『横浜市史 1』横浜市 1958
3 『新編武蔵風土記稿 第4巻』歴史図書社 1969
4 『金沢の今昔』杉山高蔵/著 杉山高蔵 1985
5 『金沢と六浦荘時代』平田恒吉/著 金沢と六浦荘時代頒布会 〔1984〕
6 『移りゆく横浜の海辺』横浜歴史博物館 1999
7 『横浜植物誌』秀英出版 1968
8 『横浜木材史』師田滝三/著 横浜木材業共同組合 1958
9 『神奈川県統計書 明治17年』神奈川県 1886
10 『横浜市統計書 第1回』横浜市 1903
『千葉県統計書』に、行徳塩田の燃料にマツ葉が使われていたと記載されていたため、『神奈
川県統計書』と『横浜市統計書』を確認しましたが、製塩の燃料については記載されており
ませんでした。
11 『横浜市歴史博物館紀要 第3号』横浜市歴史博物館 1999
掲載論文「横浜の海 新編武蔵風土記稿の世界」には、「横浜の沿岸には点々と塩浜が
所在し、入海の干潟や遠浅の海浜を利用して塩が焼かれていたことが知られる。製塩に
必要とした塩木は、家庭の燃料同様に地元あるいは近村から入手したようで・・・」と記載さ
れておりますが、塩木の種類については記載されておりませんでした。
12 『日本塩業史 上巻』日本専売公社/編 海路書院 2006
p.49には、「塩の焚立に、松葉焚・石炭焚の差別あり。十年以前は重に松葉にて焚上げし
が、以後追々高価になりしゆえ、十の八九石炭を用い来れり。」と記載されており、一般的
には松葉が燃料として使われていたようです。
(Web最終確認日 令和6年1月8日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 8版)
- 風俗史.民俗誌.民族誌 (382)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000108178