レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2001/4/1
- 登録日時
- 2005/01/17 02:10
- 更新日時
- 2018/01/19 13:42
- 管理番号
- edo2001-04
- 質問
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解決
江戸時代の串団子の形態と値段について。
- 回答
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宝暦・明和(1751-1771)のころには、江戸では、一串5文で、団子の数は5つであったといいますが、明和5年に4文銭が鋳造されると、その影響で一串4文、数は4つになったといいます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383)
- 経済史.事情.経済体制 (332)
- 参考資料
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- 『江戸物価事典』(展望社 1979年)
- 『東京都公文書館だより 第8号』(東京都公文書館編 東京都公文書館 2006年)
- 『三田村鳶魚 江戸生活事典』(青蛙房 1959年)
- 『定本江戸商売図絵』(三谷一馬著 立風書房 1986年) (3843/79/86 p.113に4つ刺し団子の絵あり)
- キーワード
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- 串団子
- 値段
- 物価
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- TOKYO DIGITAL MUSEUM「東都名所 高輪二十六夜待遊興之図」(歌川広重画)に団子屋の屋台が描かれている。 http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0190203021&sr=%8D%82%97%D6 (最終アクセス日:2014/6/6)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000013735