レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月26日
- 登録日時
- 2012/06/05 18:42
- 更新日時
- 2012/06/05 18:42
- 管理番号
- 20120226/1031
- 質問
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解決
『金沢の老舗』北国出版社 1971(K672/1)p138に「・・・国境に関所を設けてきびしく見はった。加賀藩では手判という手形の一種を発行し、これがなければ通過させなかった。また加賀藩では発行事務を代行させるのに、信用のある旅館七軒をえらび、手判問屋として、利用者が払う手数料を問屋の収入にさせた。」とあるが、この「手判問屋」の7軒を知りたい。
- 回答
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(1)『幕藩制都市の研究』田中喜男著 文献出版 1986.4(K361/23)p288に「金沢町会所役職と町役人(天明5年)」という表に「役名:手判問屋7人、手当500目充、町人名:大浦屋幸右衛門、硎屋八郎左衛門、中条屋八郎兵衛、京屋兵右衛門、北川屋庄次郎、平野屋与三兵衛、住吉屋太兵衛」の記載がある。
(2)『金沢市史』資料編6近世4 金沢市史編さん委員会編集 金沢市 2000.3( K222/125/2-6)p220~「明治元年 金沢町役人名帳」ではp259に「御手判問屋」として「大浦屋幸右衛門、住吉屋太兵衛、白山屋小兵衛、硎屋八郎左衛門、越中屋中兵衛、北川屋豊右衛門、森屋久兵衛」の記載がある。
- 回答プロセス
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『金沢市史』通史編2近世を見てもみつからず。東京大学史料編纂所近世編年データベースで検索すると、「元禄十五年十二月九日 金沢藩、金沢の手判問屋に自今手数料を与ふることを令す 加賀藩史料」という記事がヒットするが、手判問屋名は出ていない。関連書籍をブラウジングして(1)を見つけ、同様の史料として(2)を見つけた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 商業史.事情 (672 9版)
- 参考資料
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- 『幕藩制都市の研究』田中喜男著 文献出版 1986.4 (K361/23)
- 『金沢市史』資料編6近世4 金沢市史編さん委員会編集 金沢市 2000.3 (K222/125/2-6)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000106899