レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20220909
- 登録日時
- 2023/01/14 00:30
- 更新日時
- 2023/01/16 16:05
- 管理番号
- 0000202299
- 質問
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解決
土肥佐渡守(信重)の法名が記載されている書籍はないか。土肥家実との血縁関係はあるのか。
- 回答
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御質問の件について、次のとおり回答いたします。
1.「土肥佐渡守(信重)の法名」については、次の資料に記載がありました。
(1)『高木瀬町史』 土井 芳彦/編 佐賀市立高木瀬公民館 1976
p.257 宗善寺の開基、土肥佐渡守は、法名賀山宗善居士、天正十二年申二月二十四日、島原陣におい
て戦死している。宗善寺の寺名もこの賀山宗善居士より出ている。
2.「土肥佐渡守(信重)は土肥家実と血縁関係があるか」については、次の資料に記載がありました。
(1)『高木瀬町史』 土井 芳彦/編 佐賀市立高木瀬公民館 1976
p.257 宗善寺にある、土肥氏の家系図によれば、土肥氏は、恒武天皇のそう孫上総介高望の第五子良
文より出で、土肥実平に至り相模の土肥に住し土肥次郎と称した。後土肥家実に至り出雲守と
称し、元亀二年(一五七一)龍造寺に属し、五百町を領した。(中略)その子信重が佐渡守と
称し、宗善寺の開基となったが、島原戦役に討死し、法名を賀山宗善居士というのである。
※龍造寺に属し三根郡米田村を土肥家実が知行した記述があるものを参考に御紹介します。
(2)『三田川町史』 三田川町史編さん委員会/編 三田川町 1980
p.167,168
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・「お寺巡りの友」というサイトで、豊楽山「宗善寺の寺号は土肥佐渡守の法名にちなむ」とある。
・『佐賀県近世史料 第10編』p.129には法名は記載なし。
・『佐賀市史 第1巻』p.617「土肥家実を北の小代城に置いて…」とある。
- NDC
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- 九州地方 (219)
- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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(1)『高木瀬町史』 土井 芳彦/編 佐賀市立高木瀬公民館 1976
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070965005-00 -
(2)『三田川町史』 三田川町史編さん委員会/編 三田川町 1980
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070921679-00
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(1)『高木瀬町史』 土井 芳彦/編 佐賀市立高木瀬公民館 1976
- キーワード
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- 土肥佐渡守
- 土肥家実
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000327321