レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年10月11日
- 登録日時
- 2017/03/29 00:30
- 更新日時
- 2022/05/11 17:16
- 管理番号
- 県立長野-15-051
- 質問
-
解決
筑摩郡洗馬村(塩尻市)の古文書が、原家文書として「信州の文化財」(八十二文化財団)に掲載されているのを見た。この文書に、江戸期の検地帳、宗門人別帳、連判状など村人の名前が載っているものがあるか。活字翻刻された資料や、写真、マイクロフィルムになっていて、閲覧できるところはあるか。
- 回答
-
筑摩郡洗馬村(塩尻市)は『信州ふるさと変遷史』 松橋好文原編 一草舎出版 2006 【N290.3/46a】p.69によれば江戸時代は岩垂村・本洗馬村・小曽部村にあたる。
『長野県史 近世史料編 第5巻(3)中信地方』 長野県編 長野県史刊行会 1974 【N209/11/5-3】巻末p.53-60「筑摩郡郷村変遷」のうち、p.60の記載を確認する。
『両郡御改惣寄御帳』(文禄年間カ)によれば岩垂村・洗馬郷・小曽部村は松本藩の領知。
正保4年3月(1647)『正保御書上』によれば岩垂村・本洗馬村・小曽部村は高遠藩の領知。
元禄15年12月(1702)『信濃国郷帳』では岩垂村が幕府・高遠領、本洗馬村・小曽部村は高遠領。
天保5年12月(1834)『信濃国郷帳』では同上。
以上から該当の藩の資料で、質問の記載がある次の資料を紹介した。なお、松本藩領については該当する資料は確認できなかった。
『長野県史 近世史料編 第5巻(1)中信地方』長野県編 長野県史刊行会 1973 【N209/11/5-1】
<高遠領>
p.625-626「寛永四年五月 筑摩郡洗馬村熊谷九八郎給米証文」
p.626「筑摩郡本洗馬長興寺領につき高遠藩役人書状」
p.627「辰ノ年六月 筑摩郡本洗馬村熊谷九兵衛宛鳥居家家老書状」
p.629「文化九年四月 大和又兵衛宛高遠藩借用金年賦証文」
p.640「享保四年三月 筑摩郡本洗馬村長兵衛宗門別家願」
p.640-669「文化四年二月 筑摩郡小曽部村宗門改帳」
p.669「文化十四年三月 筑摩郡本洗馬村修験密蔵院宗旨証文」
p.691「延宝元年十二月 筑摩郡本洗馬村九郎助質地証文」
p.691-692「筑摩郡本洗馬村喜三郎田地売渡証文」
p.693-709「元禄三年四月 筑摩郡洗馬郷村々検地留書」のうち
p.695-696「小曽部村」 P703「岩垂村」 p703~p705「本洗馬村」
p.709-730「元禄三年九月 筑摩郡小曽部村検地帳」
p.730-733「元禄三年九月 筑摩郡小曽部村検地寄帳」
p.733-734「元禄三年九月 筑摩郡小曽部村見取場改帳」
p.737-738「文化十四年四月 筑摩郡本洗馬村彦右衛門田地譲渡証文」
<幕府領>
p.1008-1009「元禄四年三月 筑摩郡岩垂村分け郷反別帳」
※すべて活字翻刻。おおむね原史料の体裁に従い、便宜句読点をつけている。また読みにくい漢字には( )内にルビ活字で音読がほどこされている。
- 回答プロセス
-
1 「原家文書」を塩尻市の公式サイトで検索する。「市の文化財」に掲載されており、平成元年に市指定有形文化財の有形文化財に指定されている。個人蔵となっている。『塩尻市誌 第4巻 民俗・文化財・史資料等』塩尻市誌編纂委員会 塩尻市 1993 【N233/97/4】 p.504に原家古文書についての記述があるが、翻刻資料は掲載されていない。
2 『信州ふるさと変遷史』で現塩尻市洗馬が江戸時代は岩垂村・洗馬郷・小曽部村だったことを確認する。
3 『長野県史 近世史料編 第5巻(3)中信地方』で上記の村が江戸時代は何藩の所領だったのかを確認する。
4 『長野県史 近世史料編 第5巻(1)中信地方』で村人の名前が掲載されている史料を調査する。
<調査資料>
『長野県町村誌3 南信篇』 長野県編 名著出版 1973(長野県町村誌刊行会 1936発行の復刻版) 【N290/33a/3】
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
-
-
長野県/編 , 長野県. 長野県史 近世史料編 第5巻 1. 長野県史刊行会, 1973.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I020437444-00 (【N209/11/5-1】)
-
長野県/編 , 長野県. 長野県史 近世史料編 第5巻 1. 長野県史刊行会, 1973.
- キーワード
-
- 洗馬村(筑摩郡)
- 原家文書
- 信州学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000213190