レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/04/28
- 登録日時
- 2016/12/15 00:30
- 更新日時
- 2016/12/15 00:30
- 管理番号
- 参調 15-0062
- 質問
-
解決
或る童謡とおぼしき歌の歌詞及び曲の出典を探しています。残念ながら歌詞のタイトルがわかりません。歌詞の一部(出だし?)は
「あれご覧よ小さなうずらが
○○の畑(?)であそんでる
子ども(?)がそれを見つけて
『かあさん、あのうずら つかまえよう』」
だったと記憶しています。
繰り返しになりますが、お尋ねしたいのは
・この歌のタイトル
・成立年代
・作詞者
・作曲者
・(もしわかれば)どのような形で流布したか(例えば、教科書に収録されて流布した、等々)
といったことです。お手数をおかけしますが、ご助力を賜れば幸いです。
- 回答
-
以下の資料を調査しましたが、該当する歌は発見できず。
歌いだしの「あれご覧」や「うずら」をキーワードに調査
「音楽教科書掲載作品10000 歌い継がれる名曲案内」:記載順は作曲者、巻末索引は作品名のみで歌いだし索引はなし。
「おばあちゃんの小学唱歌」1,2:なし
「童謡の世界 童謡詞画集」1~4:なし
「日本わらべ歌全集」1~27:巻末に歌いだし索引あり。それらしい歌はなし。
「童謡唱歌名曲全集 別冊」:全9巻に収められた曲の「歌いだし索引」あり。それらしい歌はなし。
「定本日本の唱歌」:巻末に歌いだし索引あり。それらしい歌はなし。
「叱られぼうず サトウ・ハチロー童謡集」:索引がないためざっと目を通したが、それらしい歌はなし
ネット(最終確認 2016.8.18)
「レファレンス協同データベース」:「うずら」をキーワードに検索したがそれらしいものなし。
「歌ネット」(http://www.uta-net.com/user/index_search/search1.html 歌詞検索):該当なし
「Hoick楽曲検索」(http://hoick.jp/mdb/):該当なし
「うたまっぷ」(http://phrase.utamap.com/searchkasi_phrase.php 歌詞全文をフレーズで検索:見つからず
4月28日質問者から追加情報:原曲とおぼしき曲(ポーランドの民謡のようです)が見つかりました。その譜面が掲載されているファイルを添付します。この情報を踏まえて、今一度追加的に調査願いたい。
「ポーランドの民謡らしい」という情報と、原曲のタイトル「The Lttle Quail(譜面に掲載されていた。邦訳すると「ちいさなうずら」の意味)」から、ポーランドの民謡を基にした、タイトルに「うずら」と入っている曲の有無を調査。
検索エンジンにて「ポーランド」「歌」「うずらの子」で調査したところ、国会図書館所蔵の資料「平和と自由の歌集」に「ポーランド民謡 うずら」が収録されていることがわかった。
「平和と自由の歌集」は当館で所蔵している資料であったため、内容を確認したところ、136~137頁に「うずら」の楽譜と歌詞(3番まであり)が掲載されていた。一番の歌詞は調査依頼のあった「アレ ごらんよ 小さなうずらが・・・」とほぼ同じだった。(不明だった「○○の畑」は「モロコシの畠」となっていた)
「平和と自由の歌集」にはポーランド民謡、とあるだけで、作詞、作曲者の名前はなし。「世界民謡曲集」など、他の歌集に掲載されていないか調査したところ、「北欧民謡集 北欧・東欧民謡」58~60頁に楽譜と歌詞が掲載されていた。歌詞は「平和と自由の歌集」と同じ。原題が「Przepioreczka」となっており、「ポーランド民謡 白石賢作編曲 人形劇団プーク訳詞」と表示あり。
以上のことから、
・歌のタイトル:うずら
・成立年代:不明(「平和と自由の歌集」の発行が1954年なので、少なくともそれより前と思われる)
・作詞者:人形劇団プーク
・作曲者:不明(編曲は白石賢作)
・どのような形で流布したか:不明
作詞者としてあがっている「人形劇団プーク」については、「現代人形劇創造の半世紀 人形劇団プ-ク55年の歩み」という資料があり、内容を確認したところ、
「日映時代の榎本千代、コーラスの好きな八木(現国井)啓子が加わってから、メンバーの音楽生活が豊富になった。(中略)戦前もプークは歌が好きだった。(中略「)八木啓子の加入でユニゾンがコーラスとなり、レパートリーも増えた。八木は津川圭一が指導していた合唱運動の曲目をもっていたし、YMCAのキャンプ・ソングもあった。それらの中からプークの活動に合ったものを選んで歌った。」(101から02頁)
とあり、人形劇で使われる音楽以外でも世界各国の歌を歌っていた様子が伺える。また、
「上演活動が困難になった1950年代の後半、その歌と合唱とを積極的にもって外に飛び出した。その年の11月の国際学生週間には、プークが都下の各大学を合唱指導に回った。なにしろレパートリーは豊富にあった。(中略)深く音楽運動にかかわると、レパートリーのほうも、たまたま手にしたよい曲を取り上げるといった受身のものではなくなる。積極的な曲探しが行われる。誰かが映画を見ているうちに、その中で「これは・・・」という曲に出会う。採譜をし、シナリオを探し原詩を手に入れる。あらゆるツテと機関(大使館も含む)を頼って曲を集める。原詩を専門家に訳してもらう。(中略)直訳を歌える歌詞になおす。
これだけ集めた曲を自分たちだけで暖めておくのはもったいないから、本にしようという目論見があった。(中略)この間に手がけた訳詞は、世界三十ヶ国二百余曲にわたるが、その一部は、二色刷りではなく墨一色で三一書房から『自由と平和の歌集』(1954年)として出版された。」
とあり、「自由と平和の歌集」に収録されている「うずら」はおそらく、人形劇団プークの活動(人形劇、合唱指導)にともない、流布したのではないかと思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 声楽 (767 7版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 童謡
- うずら
- ポーランド民謡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000203227