レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年07月11日
- 登録日時
- 2014/08/07 12:11
- 更新日時
- 2014/12/26 13:44
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2014-027
- 質問
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解決
戦国時代末期ごろに、初めて江戸に入った三河商人はなんという人か。また、その中に林姓をもつ人はいるか。
- 回答
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天正18年に徳川家康が江戸に国替えされたとき、三河の家臣などに付き添って江戸に入った商人がおり、その名前が書かれている資料がありました。資料名と内容については以下のとおりです。
『江戸商業と伊勢店』p.29-30 町人の江戸移住の項に、「まず最初に江戸に移ってきたのは、三河・遠江・駿河など家康の旧領の町人で、町年寄に任命された樽屋藤左衛門、奈良屋市右衛門、喜多村弥兵衛の三家がある」とかかれています。ほか、御用達町人として名前が列挙されており、そのうち三河出身者は、
胝(あかがり)惣八郎…鉄砲御用達。本国は伊勢、三河時代より徳川氏の御用を勤め、家康とともに江戸移住。
松井弥右衛門…土器大工御用達。天正10年岡崎で召出され家康に仕え、天正18年に江戸移住。
野々山弥兵衛…桶大工頭。天正18年家康に従って江戸移住。
細井藤十郎…桶大工頭、御木具屋。天正18年家康に従って江戸移住。
伊勢屋作兵衛…酒屋御用達。本国は伊勢、永禄7年岡崎で商売しているとき家康の御用達になり、浜松、駿府、江戸へ家康に従い移住。
などがいるとかかれています。
『日本の名産事典』p.477 三河木綿の項に、「家康の関東入国に三河商人が従い、その後三河出身者を中心に木綿問屋が成立し、享保年間には大伝馬組、白子組の両木綿問屋仲間に発展して江戸での木綿独占販売を行った」とあります。
『江戸民衆史 上巻』p.28-29 「江戸草分けのころの町年寄の奈良屋は、三河時代の家臣であった… また、三河で徳川の小荷駄方をつとめていた佐久間勘解由に従って江戸入りした三河商人が、特産の木綿を売るようになり…」との記述があります。
『四日市市史 17』p.424-425 「天正18年家康が江戸に国替えされたとき、三河で小荷駄方をつとめていた佐久間勘解由も江戸に移り、この勘解由に付き添って江戸入りした三河・尾張・伊勢の商人たちが江戸城和田倉門外に集住し、城下町形成がはじまるころから商売を開始した。勘解由は馬込勘解由とも呼ばれ御伝馬誤用を担当した」と記述されています。
『日本産業市大系 5 中部地方篇』p.56 「三河の白木綿」の項に、「天正18年に家康の関東入獄にあたり三河商人も従い、その後家康から道中伝馬役を命ぜられた三河出身者を中心に木綿問屋が成立し…」との記述があります。
同書に、十七世紀の中ごろ矢作の林孫右衛門が伊勢北畠家の浪士川喜田丸大夫と協同し、丸大夫が江戸大伝馬町に店を開き、孫右衛門が三河地方の木綿を買い集めて送った、と書かれています。この文章では林姓をもつ三河商人が江戸に入ったかは定かではありません。
- 回答プロセス
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書架を直接さがすと、『江戸民衆史』上巻に、「江戸の草分けの人々」という見出しの解説の中に、家康の三河時代の家臣が町人となって江戸に入ったという部分を見出すことができた。
「江戸」「商業」というキーワードで蔵書検索を行い、『江戸商業と伊勢店』がヒットし、関連の章を見出すことができた。
また、インターネットのグーグル書籍検索で、佐久間勘解由と三河商人というキーワードから『四日市市史』17巻を見出すことができた。
木綿が名産品ということから、「三河木綿」のキーワードで『日本の名産事典』の中に関連の記述があった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 経済史.事情.経済体制 (332 9版)
- 商業史.事情 (672 9版)
- 参考資料
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- 『江戸商業と伊勢店』北島正元著 吉川弘文館 1962年
- 『江戸民衆史 上』尾河直太郎著 文理閣 1982年
- 『日本産業史大系 5』地方史研究協議会編 東京大学出版会 1960年
- 『日本の名産事典』遠藤元男ほか編 東洋経済新報社 1977年
- 『四日市市史 第17巻』四日市市篇 四日市市 1999年
- キーワード
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- 商人-愛知県
- 三河商人
- 三河木綿
- 商人-日本-歴史-江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000157818