レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年04月09日
- 登録日時
- 2021/07/13 10:46
- 更新日時
- 2021/07/14 09:35
- 管理番号
- 0000110912
- 質問
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解決
山口県内で出土した人物埴輪について調べているが、赤妻古墳(山口市)出土とされる2体の人物埴輪頭部は、後代に他地域のものが混入した可能性があるとされている。この人物埴輪の詳細について、明治期の資料である『赤妻古墳』(近藤清石 著,近藤清石,1912)にどのように記されているか知りたい。
- 回答
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『赤妻古墳』(下記資料1)を確認したが、人物埴輪についての記述はなかった。当該資料は、郷土史家近藤清石による直筆の観察記録で、(発掘)遺物を詳細にスケッチし、彩色して図本にまとめた小冊子である。 (なお、この資料については、資料2がその内容を端的にまとめている。) また、資料1については、山口県文書館も『赤妻古墳記』の資料名で所蔵している。
なお、資料2にも2体の人物埴輪の頭部の白黒写真があり、キャプションとして「赤妻古墳出土と伝えられる埴輪(山口県立博物館所蔵)」とある。
資料3にも、冒頭部の考古の収蔵品ページに、人頭埴輪のカラー写真あり。キャプションとして「伝赤妻古墳 男女埴輪 赤妻古墳より出土したと伝えられる」とある。
この人物埴輪について、山口県立山口博物館学芸員(埋蔵文化担当)に電話で尋ねたところ、下記の回答を得たので質問者に伝えた。
「学会では、赤妻古墳の人型埴輪は同古墳からの出土品ではないというのが定説になっている。詳しくは下記文献(資料4に収録)で論じられている。
「赤妻古墳をめぐる人びと : 近代山口の考古学研究と文化財保護」 (北島大輔 著,「古文化談叢」77,p61-89,2016.10 九州古文化研究会)
赤妻古墳は何度か発掘等が行われているが、(近藤清石の記録以降に)誰かが件の埴輪(おそらくは関東地方の出土品)を混入したと思われる。山口県では人型の埴輪は今のところ、赤妻古墳からしか出土していない。赤妻古墳の出土品の多くは、東京国立博物館が所蔵。同埴輪は当館の所蔵品だが、紹介するときは上記の理由から「伝」をつけている。」
なお、「古文化談叢」77(資料4)については、回答後入手し、資料として受け入れた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『赤妻古墳 山口市埋蔵文化財調査報告 第67集』(山口市教育委員会文化課 編集,山口市教育委員会,1997.3)p4に以下の記述あり。
「赤妻古墳出土と伝えられる2体の人物埴輪頭部は、6世紀代の製品と思われ、収集の過程で他地域のものが混入した可能性が考えられる。」
当該資料の「埴輪観察表」p32-35、図版(出土品の写真等)にも、人物埴輪は掲載されていない。
なお、以下の資料は調査済み。「伝赤妻古墳出土 人物埴輪」として頭部の写真が掲載されているが、具体的な内容が分かる記述なし。
『山口県の古代遺跡 2 古墳編』(古代遺跡教材化研究会 著,古代遺跡教材化研究会,1996.3) p39-40
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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1.近藤 清石 , 近藤 清石. 赤妻古墳. 1912.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060749794-00 -
2.樹下明紀 監修 , 樹下, 明紀, 1940-. 図説山口・防府の歴史. 郷土出版社, 2005. (山口県の歴史シリーズ)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007700670-00 , ISBN 4876637458 (p38-39) -
3.山口県立山口博物館/〔編〕. 山口博物館100年のあゆみ : 山口県立山口博物館開館100周年記念誌. 山口県立山口博物館, 2012.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I043911514-00 (図版) -
4.武末純一 編集 , 武末, 純一. 古文化談叢 第77集. 九州古文化研究会, 2016., ISSN 18830676
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I074879638-00 (p61-89)
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1.近藤 清石 , 近藤 清石. 赤妻古墳. 1912.
- キーワード
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- 赤妻遺跡
- 埴輪--山口県
- 照会先
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- 山口県立山口博物館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000301693