レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/02/14
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2020/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001043268
- 質問
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解決
西区北堀江に木村蒹葭堂邸跡の石碑があるが、この地にあった木村蒹葭堂の屋敷の広さや間取りは分かるか。
- 回答
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次の資料に、北堀江にあった木村蒹葭堂の屋敷についての記述がありました。
・鎌田春雄著「蒹葭堂の遺蹟と瓶橋」『古本屋 8』(荒木伊兵衛書店 1929.12)p.4-7
p.7に「蒹葭堂遺蹟圖」という図面が掲載されており、次のように記されています。
「余は前年昔の儘なる姿を存せしその邸内に居住したりといふ森本淸一郎に囑してその記憶圖作製を得、且同氏より親しく説明を聞くを得たり。圖は別表の如し。二階建なりしも二階は低くして單に物置として用ひたるに過ぎず、室内一体に光線暗きもゆつたりとして餘裕ある建方なり。圖中離座敷と茶間とは森本氏先代の増築するところたり。(後略)」(p.4)
また、屋敷の大きさについては「現在、瀧井勇三氏、路次、瓦斯會社の派出所、小室公證人役場、小栗合資會社の諸家を占めたる間口凡十間、奥行き二十間の邸宅なりしなり。」と記載されています。(p.4)
次の資料にも蒹葭堂の屋敷についての記述がありました。
・『木村蒹葭堂 なにわ知の巨人』(大阪歴史博物館/編 思文閣出版 2003.1)
第1章第2節に大阪歴史博物館蔵「北堀江五丁目水帳絵図」安政三年(一八五六)の図版が掲載され(p.13)、その解説で次のように述べられています。
「蒹葭堂の屋舗のあった北堀江五丁目の水帳(土地台帳)附図。瓶橋北詰にあった蒹葭堂の屋敷は、この図で「灘屋清兵衛」の所持地になっているところと推定される。「灘屋清兵衛」も蒹葭堂と同じく酒造業を営んでいた。」(p.168-169)
・塚田孝著「木村蒹葭堂と北堀江五丁目-近世大坂の都市社会構造との関連で」『大阪における都市の発展と構造』(塚田孝/編 山川出版社 2004.3)p.113-137
上述の「灘屋清兵衛」が蒹葭堂の屋敷を購入したと推定される経緯についての記述がありました。(p.117およびp.122)
寛政二年に「灘屋清兵衛」が購入した屋敷の大きさについては、御池通六丁目の年寄交替に関する史料中に次の記述があると記載されています。
「一家屋敷 壱ヶ所 壱役 表口 拾間 裏行 弐拾間
一続屋敷 壱ヶ所 壱役 表口 七間壱尺 裏行 弐拾間
丁内新築地 一掛屋敷 壱ヶ所 四歩役 表口 拾間 裏行 拾弐間三尺
一土蔵 都合三ヵ所」(p.121)
p.124-125には、『木村蒹葭堂 なにわ知の巨人』掲載の大阪歴史博物館蔵「北堀江五丁目水帳絵図」安政三年(一八五六)の翻刻が掲載されており、「灘屋清兵衛」の屋敷の位置が確認できます。
なお、上述の鎌田春雄/著「蒹葭堂の遺蹟と瓶橋」『古本屋 8』には、蒹葭堂の屋敷に居住していたという「森本淸一郎氏」の先祖に「清兵衛」という人物がいたことが記載されています。(p.5)
また、屋久健二/著「近世大坂の堀江地域の特質と名田家清兵衛」『近世身分社会の比較史 法と社会の視点から 大阪市立大学文学研究科叢書』(塚田孝/編 清文堂出版 2014.3)(p.165-191)では「森本清兵衛氏」が蒹葭堂の北堀江の屋敷を購入したことが記載されており、引用されている「大阪酒造旧家取調」の冒頭には「森本清兵衛氏 屋号灘屋 元禄二年開業(二百三年)とあり」との記載があって、森本清兵衛氏が「灘屋清兵衛」であることが確認できます。(p.186)
こちらの資料には、図1として「安政三年水帳」の地割が掲載され、1から36の家屋敷番号がふられており(p.180)、「少なくとも蒹葭堂が所持していた家屋敷は家屋敷番号4~6であると推測される。」と記載されています。(p.186)
次の資料には、木村蒹葭堂の「アトリエ」についての記述がありましたので、ご参考までにご紹介します。
・『完本蒹葭堂日記』([木村/蒹葭堂∥著] 藝華書院 2009.5)
水田紀久著「木村蒹葭堂のアトリエ」(p.527-531)
明和五年(1769)から寛政二年(1790)以降までの蒹葭堂筆の8点の書画が挙げられ、それらに「澄心斎」と記入されていることから、「蒹葭堂のアトリエ名が澄心斎と推測される」と記されています。(p.528)
また、このアトリエ「澄心斎」について、「まさか、避俗の別宅を設えていたとも思われず、はたして自宅のどのあたりが画室に充てられていたか、定かではないが、(中略)読書室蒹葭堂と、この書斎とは別に、興趣の赴くまま揮酒を擅まにする小天地の画室とは、おのずからその空間に区別があったはずである。」と記載されていますが(p.530)、大きさについては記載されていません。
なお、『大阪春秋 第20号』(大阪春秋社 1979)(p.42-45)に収録されている、古西義麿/著「木村蒹葭堂邸跡周辺と市立中央図書館」には、木村蒹葭堂の屋敷があった位置と木村蒹葭堂邸跡の石碑のある位置は異なっているとの記載があります。
〔事例作成日:2020年2月14日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
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- 古本屋 荒木伊兵衛書店 荒木伊兵衛書店 7-10,臨増
- 木村蒹葭堂 大阪歴史博物館∥編 思文閣出版 2003.1
- 大阪における都市の発展と構造 塚田/孝∥編 山川出版社 2004.3
- 近世身分社会の比較史 塚田/孝‖編 清文堂出版 2014.3
- 完本蒹葭堂日記 [木村/蒹葭堂∥著] 藝華書院 2009.5
- 大阪春秋 新風書房 新風書房 7(2-4)<20-22>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279935