レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年04月03日
- 登録日時
- 2019/05/28 14:41
- 更新日時
- 2019/06/19 15:02
- 管理番号
- 堺-2019-011
- 質問
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解決
堺市役所前の案内板に、江戸・銀座の柳は堺から移植したとの言い伝えが書いてあるのですが、これの根拠となるような文献はあるのでしょうか。
- 回答
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お尋ねの「銀座の柳の言い伝え」につきまして、『堺市史』に下記のような記述がありました。
『堺市史』第7巻にある「大黒常是(だいこく じょうぜ)」の項目や第3巻P.437によりますと、慶長3年(1597)12月、徳川家康が伏見に銀座を開設する際、堺の町人である大黒常是を召して任に当たらせたとあります。それより前から堺では南鐐座と称したところで堺の町人が諸国の鉱山から銀塊を集め各自で極印を打って売買をしていたそうです。後に伏見の銀座は江戸に移転し堺の銀細工職人が参加し、銀座のあったところが現在の地名に残ったそうです。(『堺あれこれ』1976年(堺商工会議所)にもこのような記述があります)
『堺市史』には、銀座の職人が堺から柳を移植したという記述はありませんが、堺のメインストリートである大小路筋に柳の並木があった記述はあります。堺市史続編第2巻には「与謝野晶子が『今いかに 柳の路もなほありし 堺の街に娘となりぬ』とうたった大小路の、大道筋から大小路橋までは柳の並木を伐りたおして、昭和7年10月末までに、アスファルトで舗装された」と記されています。また、『堺あれこれ』の「堺の樹々」の項目に「昔のメインストリートであった大小路筋、そして政治の中心地となっていた殿馬場に4、5メートルにも及ぶ柳が道の両側に植わっていて柳に煙る街の風情は何ともいえぬものがあった」とあり、柳が堺を思い起こさせる木であったことがうかがえます。(中央図書館)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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市役所前案内板の表示「東京の銀座という地名は、江戸時代に堺から移住した銀細工職人が銀貨を鋳造した地であることから、銀座と呼ばれることになったそうです。また、今も銀座に柳が植わっているのは、職人たちが堺を懐かしみ堺から柳を移植したからとのことです。柳は堺市民の木になっています。」
- NDC
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- 地理.地誌.紀行 (290 8版)
- 経済 (330 8版)
- 参考資料
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堺市 編 , 堺市. 堺市史 第7巻 別編. 清文堂出版, 1930.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001350457-00 -
堺市 編 , 堺市. 堺市史 第3巻 本編第3. 清文堂出版, 1930.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001271414-00 -
堺市. 堺市史 続編 第2巻. 堺市, 1971.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001217408-00 -
堺商工会議所/編 , 堺商工会議所. 堺商工会議所報 1966年. 堺商工会議所, 1966-00.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I084087748-00
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堺市 編 , 堺市. 堺市史 第7巻 別編. 清文堂出版, 1930.
- キーワード
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- 銀座
- 大黒常是
- 柳
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000256446