レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年03月20日
- 登録日時
- 2020/04/23 15:41
- 更新日時
- 2020/06/04 17:47
- 管理番号
- 広県図2019210
- 質問
-
解決
広島県三原市にある三原城廃城の時の最後の城主及び家老は何代目にあたり,生没年がいつか。
- 回答
-
1 最後の城主 浅野忠英(あさのただふさ)
『三原市史 第2巻 通史編 2』三原市役所/編集,三原市役所,2006【H21.41/Mi17/2ア】
p.209-441 藩政の再編成と三原
p.209-312 藩政の再編成と農漁村の変貌
p.216-224 三原浅野家の支配
p.223-224 浅野忠英
p.223 「忠英は忠敬の五男として文政十二年(一八二九)十月十八日に広島で生まれた。(略)安政三年(一八五六)四月、二八歳で家督(第一二代)を継ぎ、右近と称した。」
p.224 「明治三十年(一八九七)五月三日、六九歳で広島で逝去した。」
『三原市史 第4巻 資料編 1』三原市役所/編集,三原市役所,1970【H21.41/Mi17/4ア】
p.193-296 増補三原志稿
p.202 浅野家十二代
初代から十二代までが表にまとめられています。浅野忠英については,次のとおりです。
「[世代]一二 [名]忠英 [通称]右近大夫 [生]文政十二 [在職]安政三 明治四 [卒]明治三十 [年齢]六九 [血胤]忠敬五男 [墳塋]妙正寺」
p.220-233 城主伝
p.231-233 十二代 浅野忠英
2 最後の家老 戸田守勝(とだもりかつ)
『三原市史 第4巻 資料編 1』三原市役所/編集,三原市役所,1970【H21.41/Mi17/4ア】(前出)
p.193-296 増補三原志稿
p.205-212 家臣
p.207-212 明治維新の際の家臣
p.207 千百石 家老 戸田守勝
何代目にあたるか及び生没年についての記述は見付かりませんでした。
このほか,次の資料も確認しましたが,関連する記述は見付かりませんでした。
『御調郡誌』御調郡教育会/編纂,臨川書店,1985(御調郡教育会 大正14年刊の復刻)【H291.44/Mi64aア】
p.192-414 人物
p.332-397 名士
『わが町三原』第152輯(2003.11),三原歴史観光会【雑誌】
p.7-8 「三原城主浅野右近大夫忠吉と家老戸田勝直」中谷裕子
『わが町三原』第262輯(2013.1),三原歴史観光会【雑誌】
p.6 「三原城主浅野右近大夫忠吉と家老戸田勝直」中谷裕子
『わが町三原』第264輯(2013.3),三原歴史観光会【雑誌】
p.3-5 「正法家の国重要文化財見学と戸田家の墓地訪問」鈴木健次
『わが町三原』第267輯(2013.6),三原歴史観光会【雑誌】
p.6-8 「正法家と戸田家の墓地を訪ねて」大谷和弘
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 三原城
- 浅野忠英
- 戸田守勝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000280965