レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年01月18日
- 登録日時
- 2019/04/11 16:52
- 更新日時
- 2019/05/23 17:31
- 管理番号
- 蒲郡-2009-01181-般
- 質問
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解決
永島拾山(ながしましゅうざん)という人について調べている。江戸末期~明治の人で、俳人。神ノ郷(かみのごう)の人。句集や日記など作品の実物が見たい。
- 回答
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著書に『明意集』『感得集』『威徳集』『養和集』』『在明集』『夏ざしき』『ふくろ掃除』『拾山日記』などがあることがわかった。
『拾山日記』は昭和32年に市の文化財の指定を受けたが、個人所蔵で遺族が転出時に持っていったので、その時に文化財から外れた。現在、連絡を取っていないため、所在はわからない。
- 回答プロセス
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1.OPACキーワード「永島拾山」で2件ヒット。a『蒲郡の人』p125~126に記載あり。著書として、『拾山日記』『養和集』『感得集』『明意集』『在明集』『夏ざしき』が挙げられている。作品も3句載っている。p126に永島拾山著として書物2点と短冊?1点の写真が載っているが、画像が粗く、作品名は特定出来ず。b『ふるさと探訪』p72に記載あり。著書として『明意集』『威徳集』『養和集』の名前が挙がる。『養和集』は昭和32年市の文化財に指定されていると記載あり。色紙?の写真が載っている。句が書かれているが読めなかった。
2.c『蒲郡市史 本文編2』も見てみる。p543~546に記載あり。蒲郡市博物館に「俳人・永島拾山生家跡」石碑があるが、もとは1986年に生家門前跡に建てられたものであると記載あり。
3.石碑の記事はd『俳誌 三河』昭和61年8月号、荒島禾生(かせい)が書いた「宮廷俳人・永島拾山雑考」よりと脚注。dを見てみる。P31~32『拾山日記』はかつて市の文化財だったが、家が移転して他市に転出したため文化財から外れたとあった。e1981年刊行『蒲郡市文化財図録』には載っていない。dには著書『ふくろ掃除』の名前が挙がる。
4.市の博物館に問合せたところ、『拾山日記』は個人所蔵で、市の文化財の指定を受けていたが、遺族が転出時に持っていったので、その時に文化財から外れた。現在、連絡を取っていないため、所在はわからない。拾山研究をしていた荒島禾生氏も故人の為詳しいことはわからない。荒島氏の研究をまとめた冊子が博物館にある(図書館には所蔵なし)という回答だった。
5.お客様は荒島氏の研究をまとめた冊子は見たことがあるとのこと。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 詩歌 (911)
- 参考資料
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- 蒲郡市教員会∥編集. 蒲郡の人. 蒲郡市教員会, 1964.
- 足立 陸男∥著. ふるさと探訪. 海雲堂書店, 1973.
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蒲郡市史編さん事業実行委員会 編 , 蒲郡市. 蒲郡市史 本文編 2(近世編). 蒲郡市, 2006.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008182181-00 -
蒲郡市教育委員会 編集 , 蒲郡市教育委員会. 蒲郡市文化財図録. 蒲郡市教育委員会, 1981.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I071639489-00 - 蒲郡市教育委員会∥編集. 蒲郡の文化財. 蒲郡市教育委員会, 1964.
- 蒲郡市教育委員会∥編集. 蒲郡の 文化財 1967. 蒲郡市教育委員会, 1967.
- 蒲郡市教育委員会社会教育課∥編集. 蒲郡の文化財 1971. 蒲郡市教育委員会, 1971.3.
- 蒲郡市教育委員会∥編集. 蒲郡の 文化財 1982パンフレット. 蒲郡市教育委員会, 1982.
- キーワード
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- 永島拾山
- 明意集
- 威徳集
- 養和集
- 感得集
- 在明集
- 夏ざしき
- 拾山日記
- ふくろ掃除
- 蒲郡の文化財
- 荒島禾生
- 三河
- 照会先
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- 蒲郡市博物館
- 寄与者
- 備考
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市の文化財をまとめた資料『蒲郡の文化財』を調べたところ、f1964年、g1967年、h1971年刊行版には、『拾山日記』が載っていた。i1982年刊行のパンフレット版では外れていた。
bで『養和集』は昭和32年市の文化財に指定されているとあったが、f~hには載っていなかった。『拾山日記』の誤りか?
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000254726