レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年10月03日
- 登録日時
- 2016/03/02 11:14
- 更新日時
- 2016/03/02 11:14
- 管理番号
- tr408
- 質問
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解決
かつて栃木県にあった美田村(現在は小山市)に関する資料が知りたい。特に、美田村立穂積小学校間中分校に関する資料が知りたい。
- 回答
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1 美田村立穂積小学校間中分校について
・『栃木縣史 第6巻(教育編)』(田代善吉/著 臨川書店 1972)
※下野史談会昭和10年刊の複製資料です。
「穂積尋常高等小学校」の項(p.348-349)に、間中分校について以下の記述を確認しました。
「間中に分教室あり、此の分教室は始め新民舎分校として設立せられたが、後發穎舎として改む、同十八年間中学校と改称す、同二十年間中尋常小学校と改め二十一年新校舎新築す。」
・『栃木県町村合併誌 第3巻 下』(栃木県 1956)
「美田村の合併の状況」(p.221-251)に「穂積村」の項目があります。
この項に穂積村の中学校、小学校についての表の記載があり、「穂積小学校間中分校」を確認しました。(p.232)
・『美田村勢要覧 昭和32年版』(美田村役場/編、発行 1957)
「第5編 教育文化」に「2.新制中学校及び小学校」という表があり、「学校名、創立年月日、位置、学校長名、電話」の記載があります。「3.小学校職員数及び児童数」という表に「昭和32年1.1現」の穂積小」について記載があり、「括弧内数字は間中分校」とあります。(p.73)
・『栃木県教育史 3巻』(栃木県教育史編纂会/編 栃木県連合教育会 1957)
「美田村立穂積小学校」の項があります。(p.481)この章のはじめに「これは昭和三十一年一月現在のものである」と記述があります。(p.355)
「所在地、校長名、職員数、学級数、児童数、予算、沿革、歴代校長名」の記載があります。
・『栃木県市町村誌』(平井恒重/編 栃木県町村会 1955)
「穂積村」の項があります。(p.413-417)
小学校についての項(p.413)に間中分校について、以下の記述を確認しました。
「なお間中分校の前身は、明治六年の新民舎分校として設置したものを十年に独立して発穎舎と称し、ついで間中尋常小学校に改めたが大正六年九月分教場となった。」
「村勢概況」のなかに小学校・中学校の校数、学級数、教員数、児童数の記載があります。(p.414)
また、穂積小学校の校長名の記載があります。(p.416)
2 美田村について
・『小山市史 通史編3』(小山市史編さん委員会/編 小山市 1987)
「第五章 小山市の誕生と工業化」「二 小山市の発足」「2 町村合併の進行」に「美田村の誕生―豊田・中・穂積村の合併―」という項があります。(p.942-945)
「4 小山市域の拡大」に「間々田・美田村の編入」の項があります。(p.967-971)
「第五章 三 高度経済成長と小山の変化」「2 農業の新しいうごき」に「昭和三十年代の農業」という項があります。(p.994-1000)
この項には「小山市域では美田地区(当時美田村)が、県の「新農村建設地域」として最初に指定された」(p.994)とあり、美田村についての記述があります。
・『角川日本地名大辞典 9』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1984)
p.850に「美田村〈小山市〉」の項があります。
p.815に「穂積村〈小山市〉」の項があり、「昭和30年美田村の一部とな」ったとあります。
・『日本歴史地名大系 9』(日本歴史地名大系/編 平凡社 1988)
「小山市」(p.611-652)の項のなかで美田村、穂積村について記述を確認できます。(p.613)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 幼児.初等.中等教育 (376)
- 地方自治.地方行政 (318)
- 参考資料
- キーワード
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- 学校
- 廃校
- 沿革
- 合併
- 栃木県
- 美田村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000188759