レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年11月27日
- 登録日時
- 2018/07/11 10:29
- 更新日時
- 2018/09/18 13:52
- 管理番号
- 埼熊-2018-016
- 質問
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解決
石田三成の出自が知りたい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
『石田三成 「知の参謀」の実像』(小和田哲男著 PHP研究所 1997)
p46-47「土豪としての石田氏」
「土豪は、土着の豪族の意味で、古い史料には、地侍とか「名字ノ百姓」などといういい方で出てくる。武士の中では下位で、「名字ノ百姓」といういい方からも明らかなように、百姓でもあった。つまり、侍でもあり百姓でもあるという兵農未分離の状態の者をいった。百姓の中で力をもった者が武装し、戦いのないときには農業経営を行い、戦いのときに武装して出陣するのである。このような形で近江の守護大名京極(きょうごく)氏、そして戦国大名浅井氏に仕えていたのが、三成の父なり祖父であった」とあり。
p48-49「石田三成の出自、すなわち、石田氏の系譜については、まず信用できるのは、三成の嫡子で、妙心寺寿聖院の第三世となった済院宗亨大禅師がはじめに書き、のち書きつがれた、『霊牌日鑑(れいばいにっかん)』である。(略)三成の父が石田隠岐守正継と名乗っていたことは文書もあり確実である。(略)『霊牌日鑑』には「前陸奥入道清心(せいしん)」とみえ、これが正継の父であり、さらにその先、正継の祖父にあたる人物を「前蔵人入道祐快(ゆうかい)」としている。(略)陸奥守は受領名(ずりょうめい)、蔵人は官途名(かんとめい)の一つであり、あわせて官途受領名といっているが、これは、侍身分であることの表象であった」とあり。
p50「系譜の点で注目されるのが白川亨氏の研究である。(略)白川氏が依拠した史料は「石田系図」(「極楽寺系図」)である。この系図は、現在、和歌山県有田郡湯浅町栖原の極楽寺が所蔵する系図で、極楽寺の石田氏は、三成の兄正澄の子朝成にはじまるというのである」とあり。
p51 家系図あり。
『石田三成(人物叢書 74)』(今井林太郎著 吉川弘文館 1981)
p1-10「三成の出生とその家系」の項あり。
『史伝石田三成』(安藤英男著 白川書院 1976)
p17-21「その生いたち」
p21「石田三成 略系図」
『石田三成の生涯』(白川亨著 新人物往来社 1995)
p44-46「第一章 その祖先及び一族 (1)祖先に木曽義仲を射った石田為久 (2)石田三成の父」に該当する記述あり。
p55「生家は、現存する石田屋敷遺構の規模から推定しても、同地の村長(むらおさ)説や浅井家家臣団説の方が的を得ていると考えられる。」とあり。
- 回答プロセス
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1 参考資料を確認する。
『国史大辞典 1 あ-い』(吉川弘文館 1979)
p524-525 「いしだみつなり 石田三成」(1560-1600)
「安土桃山時代の武将。幼名は佐吉。永禄三年(1560)近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)に生まれる。父は隠岐守正継。」とあり。
2 自館目録を〈石田三成〉で検索する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『石田三成 「知の参謀」の実像』(小和田哲男著 PHP研究所 1997) , ISBN 4-569-55442-3
- 『石田三成(人物叢書 74)』(今井林太郎著 吉川弘文館 1981)
- 『史伝石田三成』(安藤英男著 白川書院 1976)
- 『石田三成の生涯』(白川亨著 新人物往来社 1995) , ISBN 4-404-02179-8
- キーワード
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- 石田 三成(イシダ ミツナリ)
- 武将
- 大名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000238366