レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/11/28
- 登録日時
- 2019/12/26 00:30
- 更新日時
- 2019/12/26 00:30
- 管理番号
- 滋2019-0024
- 質問
-
解決
栗東郡、野洲郡に領地があった旗本伊東氏、木下氏について教えてください。伊東氏は飫肥の伊東氏の分家で、木下氏は豊臣秀吉妻おねの養子の子孫です。
領地や陣屋は今の何市にあったか、市史などに寛政年間以降について当主のみでなくその兄弟姉妹についてものっている系図か先祖書がのった資料がないか、併せて知りたい。
- 回答
-
栗太郡については、『近江栗太郡志 第2巻』の「第4編 江戸時代志 第25章 領地分封表」に文化年間の領主が掲載されています。ご質問の両氏についてのみ抜粋します。
村名 大字名 領主
○志津村 馬場 伊東氏采地 (現在の草津市:回答者註、以下同じ)
金勝村 東坂 伊東氏采地 (栗東市)
治田村 下砥(戸)山 旗本伊東氏領 (栗東市)
大寳村 半苅 旗本伊東氏采地 (栗東市)
霊仙寺 木下左門 (栗東市)
物部村 伊勢 伊東氏采地 (守山市)
○ 横江 木下左門 (守山市)
常盤村 穴村 木下左門 (草津市)
笠縫村 集村 伊東氏領 (草津市)
※○印は字全体、それ以外は字の一部分を領地としている。
野洲郡については、『栗太郡史 下』の「第3編 近世の野洲郡 第18章 土地制度」に、次の3つの年代について掲載されています。
1.「寛政11年近江国高帳(文化11年写)」より
○堤村 木下左近 (野洲市)
吉地村 木下左近 (野洲市)
留田(戸田:回答者註)村 木下左近 (守山市)
○山賀村 木下左近 (守山市)
○大林村 木下左近 (守山市)
2.「享保13年6月江州一國寺社領高付ケ」より
○堤村 木下左近 (野洲市)
吉地村 木下左近 (野洲市)
戸田村 木下左近 (守山市)
○山賀村 木下左近 (守山市)
○大林村 木下左近 (守山市)
3.「安政7年写近江國村高郡附領主除地」より
南櫻村 伊東采女 (野洲市)
○五ノ里村 伊東采女(野洲市)
新町村 伊東采女 (野洲市)
吉地村 木下左門 (野洲市)
野田村 伊東采女 (野洲市)
木濱村 伊東采女 (守山市)
戸田村 木下左門 (野洲市)
○山賀村 木下左門 (野洲市)
○大林村 木下左門 (野洲市)
※○印は村全体、それ以外は村の一部分を領地としている。
なお、『野洲郡史』の執筆者は、最後の史料について、「(前略)總髙に於て享保十三年の統計より少く、且つ夫々の村高に於て相違があり、何れに據つたか明かでないから、異説として參照するに止める。」としています。
また、『守山市史 第2巻』の「5 近世の守山 2 藩領」に、現在の守山市の各村の領主が「江戸時代支配一覧概表」として簡単な年表にまとめられています。そのなかで、両氏に関係する村については、次のとおりです。
横江 木下 1626→(→は以降の意味、以下同じ:回答者註)
伊勢 伊東 1697→
大林 木下 1626→
山賀 木下→
木浜 伊東 1697→
富田 木下 0.25(村での領地の割合:回答者註)
両氏の家系については、回答資料の4~8を調べましたが記載されていませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 1 近江栗太郡志 巻2 栗太郡役所∥編集 栗太郡役所 1926年 S-2120-2 p.452~467
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2 野洲郡史 下 橋川正∥編 寺田精文堂 1973年 S-2120-2 p.417~455 -
3 滋賀県の地名 平凡社地方資料センター∥編集 平凡社 1991年 S-2900- 91 -
4 草津市史 第2巻 [近世編] 草津市史編さん委員会∥編 草津市役所 1984年 S-2121-2 p.562~565 -
5 栗東の歴史 第2巻 近世 栗東町史編さん委員会∥編集 栗東町役場 1990年 S-2122-2 p.90~137 -
6 守山市史 上巻 守山市史編纂委員会∥編 守山市 1974年 S-2124-1 p.363~418 -
7 守山市誌 [第5巻] 歴史編 守山市誌編さん委員会∥編集 守山市 2006年 S-2124-5 p.202~205 -
8 野洲町史 第2巻 通史編 2 野洲町∥編 野洲町 1987年 S-2126-2 p.174~246
- キーワード
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- 伊東氏(栗太郡・野洲群)
- 木下氏(栗太郡・野洲群)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000271598