レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月20日
- 登録日時
- 2014/02/20 15:51
- 更新日時
- 2014/02/20 16:07
- 管理番号
- 20140220-2
- 質問
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解決
茅野雅子について知りたい。
- 回答
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茅野雅子 【ちのまさこ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E8%8C%85%E9%87%8E%E9%9B%85%E5%AD%90 (2014/02/20確認)
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
茅野雅子 ちの-まさこ
1880-1946 明治-昭和時代の歌人。
明治13年5月6日生まれ。茅野蕭々(しょうしょう)の妻。新詩社にはいり,明治38年山川登美子,与謝野晶子(よさの-あきこ)と合著歌集「恋衣」を出版,「明星」「スバル」などに作品を発表した。大正10年母校日本女子大の教授となり,晩年までつとめた。昭和21年9月2日死去。67歳。大阪出身。旧姓は増田。本名はまさ。号はしら梅。歌集はほかに「金沙集」など。
日本国語大辞典
ちの‐まさこ 【茅野雅子】
歌人。本名まさ。大阪出身。蕭々の妻。早くから新詩社にはいり、「明星」誌上に短歌を発表。与謝野晶子・山川登美子との合著歌集「恋衣」に名を連ねた。歌集「金沙集」、蕭々との共著随筆集「朝の果実」などがある。明治一三~昭和二一年(一八八〇~一九四六)
日本大百科全書(ニッポニカ)
茅野雅子 ちのまさこ
[1880―1946]
歌人。旧姓増田。大阪生まれ。日本女子大学国文科卒業。早く新詩社に入り、白梅と号し清楚艶麗(せいそえんれい)な歌風で知られた。山川登美子(とみこ)、与謝野晶子(よさのあきこ)と共著の歌集『恋衣(こいごろも)』(1905)を在学中に刊行。卒業後茅野蕭々(しようしよう)と結婚。歌集『金沙(きんさ)集』(1917)刊行の年京都から上京し、晩年まで長く母校教授を務めた。蕭々没後5日目に死去、雑司ヶ谷霊園に葬られた。詩、小説、童話も書き、随筆集『朝の果実』(蕭々と共著、1938)、『蕭々雅子遺稿抄』(1956)がある。・・・
参考文献:
青木生子著『茅野雅子』(1968・明治書院)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 日本文学 (910 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 茅野雅子 ちの まさこ
- 大阪
- 短歌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000149617