レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/12/17
- 登録日時
- 2022/01/16 00:30
- 更新日時
- 2022/01/16 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-210136
- 質問
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解決
「国学者・坂本静衛」(『日本人として知っておきたい天皇と日本の歴史』彩図社, 2017, 157ページ)はどのような人物で,「静衛」はどのような読み方をするのか。
- 回答
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三河(刈谷藩)出身の国学者で,岩倉具視と交流のあった人物とされている。「静衛」については,「下枝」という表記もあるようだが,「しづえ」「しずえ」「しもづえ」とルビが振られていた。
- 回答プロセス
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(1)「坂本静衛」を見出しにしている人名事典を調査→該当の事典が見つからない。
(2)資料15(pp.258-259)に「113 岩倉具視書翰 「坂木静衛宛」慶應二年十二月廿六日」があり,天皇崩御に関して手紙を発出していることが確認された。この資料では,宛先が「坂木」となっており,先の資料の「坂本」とは異なっている。
同資料15(pp.215-217)「92 坂木静衛書翰 「岩倉具視宛」慶應二年十月二日」には,「坂木静衛は道別,三河の人」と注あり。
同資料15(pp.341-344)「149 津田三蔵書翰 「岩倉具視宛」慶応三年五月十六日」(※目次の表記は「149坂木静衛書翰 「岩倉具視宛」慶応三年五月十六日」)には,「津田三蔵は三河の坂木静衛の變名なり」と注あり。
同資料15(pp.370-376)「163 伊藤謙吉書翰 「岩倉具視宛」慶応三年十月廿八日」には,「伊藤謙吉は三河の人,坂木静衛の變名也」とあり。
(3)岩倉具視関係の資料下記3点を調査したところ,孝明天皇崩御の際に岩倉具視が出した手紙の相手は「坂本」「坂木」と表記にゆれがあった。
資料16「岩倉は坂本静衛に手紙をよせて」(p.14)とあり
資料17「孝明天皇の死を知った岩倉は,翌日の坂本静衛(三河出身の国学者で,岩倉に情報を提供した同志)に宛てた手紙で」(p.97)とあり。
資料18「慶應二年十二月二十六日の,つまり天皇の死をしった直後のもので,坂木静衛宛。坂木は三河の国学者で,このころ具視との間に数通の往復書簡がある。」(p.156)とあり。
(4)三河(刈谷藩)関係
資料20を参照したところ,182-183ページに「天誅組には,刈谷藩から松本奎堂・宍戸弥四郎・伊藤三弥の三名が脱藩し参加した。」との記述があり,さらに,「伊藤三弥」に注として「(略)松本・宍戸とともに天誅組に参加したが早期に離脱した。原因は不明だが戦況不利とみての保身説がある。明治維新後は謙吉と改め,岩倉具視の推挙により司法省・内務省に出仕した。三重県令・第一回衆議院議員などを務め,高知県の寒川鉱山経営や東京株式取引所・歌舞伎座の設立などに携わった。三弥の遺産は娘坂木那津子によって亀城小学校奨学資金に寄贈されている」と記載されていた。
この記述から,「坂本」ではなく「坂木」が名字としては正式なものに近いと推測される。
(5)三重県関係資料
資料21の93ページに「第1回衆議院議員選挙結果」に伊藤謙吉(大成会)が第4区で当選したことが記載されていた。同94ページには「三重県下の当選者は自由党系の栗原亮一・天春文衛,改進党系の尾崎行雄・立入奇一,中立(大成会)の伊藤謙吉・北川矩一と,野党系が圧勝した。」とあった。
(6)天誅組・平田国学関係資料
天誅組に参加した経歴から,関係資料を調査。「坂木静衛 天誅組」をキーワードにインターネット検索(google)したところ,作家桐野作人氏のWebサイトに記事「孝明天皇の死について」(http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-559.html 最終アクセス日: 2021/12/17)があり,コメント欄にて,「『平田篤胤全集』別巻に「門人姓名録」として、坂木下枝こと原遊斎が立項されてい」るとの情報を得た。
資料22所収「誓詞帳 四」(p.92)に「一四八三 信濃国伊奈郡伴野村住 慶応二年丙寅正月廿七日 道別 松尾誠哉紹介 原遊斎」との記述がある。
また,同資料22所収「門人姓名録」(p.337)に「一五二一 信濃国伊那郡伴野村正月廿七日 改坂木下枝 道別 松尾誠哉紹介 原遊斎」の項目あり。「(前略)三州刈谷藩士伊藤三弥,其師松本謙三郎ト大和一挙ニ加ハリ,半途脱走,原遊斎と変名シ,伴野村ナル竹村[松尾]多世子ノ方ニ潜ミ,(略)岩倉具視卿ノ内執事トナリ,後改坂木謙三,又改伊藤謙吉,三重県代議士[同県書記官ヨリ後ナリ],懇親」との記述がある。
資料23(p.66)に「いつ頃からかはわからないが,三州刈谷藩士だった伊藤三弥もこのグループの一人である。天誅組の一揆に参加し,逃れて伴野村に匿われた。潜伏期の変名は原遊斎,後に慶応元年上京して坂木下枝となのり,岩倉具視のもとで国事運動に従事する。明治以降は伊藤謙吉と称することとなる。」という記述があった。
資料24(p.147)には,「原遊斎は三州刈谷土井家の家臣たり。本名伊藤三弥又榊下枝とも称す。」とある。
これにより,「坂本静衛」「坂木静衛」「道別」「津田三蔵」「伊藤謙吉」「原遊斎」「坂木下枝」「榊下枝」「坂木謙三」が同一人物をさすと推察される。
(6)ヨミについて
「坂木静衛」等の記載がある資料に,ルビが付されているものはない。人名事典の類も,「静衛」「下枝」について記載があるものがなかった。
なお,参考として小説だが,島崎藤村『夜明け前』(資料25,26)では,「榊下枝(さかき しずえ)」とルビ付きの表記であった。
【調査資料】
資料1: 大日本人名辞書 講談社, 1974.8【281.03/1974.8/R】
資料2: 日本人名大事典. 平凡社, 1979.7【281.03/1979.7/R】
資料3: 歴史人名よみかた辞典. 日外アソシエーツ, 1989.12【281.03/1989.Z/R】
資料4: 人物レファレンス事典 古代・中世・近世編3<2007-2016>. 日外アソシエーツ, 2018.1【281.03/1996.9/1-5R】
資料5: 人物レファレンス事典 明治・大正・昭和<戦前>編. 日外アソシエーツ, 2000.7【281.03/1996.9/2-1R】
資料6: 芳賀矢一編. 日本人名辞典. 思文閣出版, 1972.7【281.03/1972.7/R】
資料7: 日本人物文献目録. 平凡社, 1974.6【281.03/1974.6/R】
資料8: 講談社日本人名大辞典. 講談社, 2001.12【281.03/2001.Z/R】
資料9: 竹内誠, 深井雅海/編. 日本近世人名辞典. 吉川弘文館, 2005.12【281.03/2005.Z/R】
資料10: 新潮日本人名辞典. 新潮社, 1991.3【281.03/1991.3/R】
資料11: 宮崎十三八, 安岡昭男編. 幕末維新人名事典. 新人物往来社, 1994.2【281.03/1994.2/R】
資料12: 森銑三, 中島理寿編. 近世人名録集成 第5巻. 勉誠社, 1978.3【281.03/1976.2/5R】
資料13: 号・別名辞典. 日外アソシエーツ, 2003.5【281.03/2003.5/1R】
資料14: 古林亀治郎編輯. 明治人名辞典 上巻. 日本図書センター, 1987.10【281.03/1987.X/1-1R】
資料15: 日本史籍協会編. 岩倉具視関係文書 3. 東京大学出版会, 1983.3【081.6/ニ3/20】
資料16: 室伏哲郎著. 日本のテロル. 世界書院, 2000.6【210.6/2000.6】:p.14
資料17: 佐々木克著. 岩倉具視. 吉川弘文館, 2006.2【289.1/イト2006.2】:p.97
資料18: 永井路子著. 岩倉具視. 文藝春秋, 2008.3【913.6/ナミ2008.3】:p.156
資料19: 明治大正人物事典 1. 日外アソシエーツ, 2011.7【281.03/2011.7/1R】:p.61
資料20: 舟久保藍著. 刈谷藩. 現代書館, 2016.4【215.5/2016.4】:pp.182-183
資料21: 大林日出雄著 西川 洋著. 三重県の百年. 山川出版社, 1993.1【215.6/オ1】:pp.93-94
資料22: 平田篤胤全集刊行会編. 新修平田篤胤全集 別巻(21). 名著出版, 1981【121.2/ヒ1-5/21】
資料23: 宮地正人著. 歴史のなかの『夜明け前』. 吉川弘文館, 2015.3【215.3/2015.3】:p.66
資料24: 市村 咸人著. 松尾多勢子. 大空社, 1989.1【289.1/マタ1989.1】:p.147
資料25: 島崎藤村著. 夜明け前. 第2部, 上(岩波文庫), 1969【IB/ミ/361】:p.79
資料26: 島崎藤村著. 夜明け前. 第2部, 上. - 改版(新潮文庫), 1990【913.6/シト1954.Z/Bシンチ】:p.76
(7)国立国会図書館へ協力レファレンス
「坂木静衛」(又は「下枝」)の名前部分のヨミについて下記の資料1-5にルビが付されているとの情報を得た。
※この項【】内は国立国会図書館の請求記号
1.市村咸人『伊那尊王思想史』下伊那郡国民精神作興会,1929【592-110】*国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館/図書館送信参加館内公開)(当館所蔵なし)
→p.350に「榊下枝 原遊齋」とあり、「下枝」に「シヅヱ」とルビが付してあります。
2.長谷川伸『相楽総三とその同志』新小説社, 1943【210.58-H36-2ウ】*国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館/図書館送信参加館内公開)(当館所蔵あり)
→p.462に「そのころ伊藤謙吉は阪木下枝といつてゐた」とあり、「下枝」に「しづえ」とルビが付してあります。(p.463にも阪木下枝の名前が出現するが、ルビはなし。)
3.長谷川伸『相楽総三とその同志』新小説社, 1968 【210.58-H256s】(当館所蔵なし)
→2.の改修本(p.1に、版を新たにするため改修した旨の記述あり)。p.478に「そのころ伊藤謙吉は阪木下枝といつていた」とあり、「下枝」に「しもづえ」とルビが付してあります。(p.479にも阪木下枝の名前が出現するが、ルビはなし。)
4.大久保利謙『岩倉具視』(中公新書)中央公論社, 1973【GK66-10】(当館所蔵あり)
→pp.178-179に「岩倉は坂木静衛に宛て(略)相手の坂木は、三河の人、道別、下枝といい」とあり、「下枝」に「しもづえ」とルビが付してあります。
5.信濃毎日新聞社編『維新の信州人』信濃毎日新聞社, 1974 【GB421-70】(当館所蔵なし)
→p.307に「松尾家に寄宿した原遊斎が、榊下枝と変名して(略)」とあり、「榊下枝」に「さかきしづえ」とルビが付してあります。
所蔵ありのものを改めて提供。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 坂木, 静枝(サカキ, シズエ)
- 照会先
-
- 国立国会図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000310768