レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/05/09
- 登録日時
- 2020/07/03 00:30
- 更新日時
- 2020/07/03 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-200086
- 質問
-
解決
沢庵和尚に関する以下のことが知りたい。
1紫友事件で上山に流罪となった年月日,江戸に帰った年月日
2 食べ物の「たくあん」との関係
- 回答
-
以下の資料に記載がありました。※【 】内は当館請求記号です。
1 紫友事件で上山に流罪となった年月日および江戸に帰った年月日について
資料1 『近世禅僧伝 1』思文閣出版, 1982.7【188.82/キン1982.3/1】
p.257「略年譜」の項
「寛永六年(一六二九)五七歳 (前略)沢庵を羽州上山に,玉室を奥州棚倉に流す。(後略)」
「寛永九年(一六三二)六〇歳 (前略)沢庵赦されて江戸に入る。他の三僧も赦さる。」
資料2 中尾 尭/編,今井 雅晴/編『日本名僧辞典』東京堂出版, 1976【180.2/ニ1/R】
p.119-120「沢庵 たくあん」の項
「(前略)寛永六年(一六二九)に起草者の三人,すなわち沢庵・玉室・江月は江戸に召喚され,流罪が決定する。玉室は奥州棚倉,沢庵は羽州上山に(中略)。さらに大徳寺妙心寺の前住諸老の紫衣を剥奪してしまう。(中略)これを一般に「紫衣事件」という。(中略)その後,寛永九年(一六三二)に許されて江戸に帰り,神田広徳寺に寓居,同十一年に大徳寺帰山を許された。(後略)」
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1259004
(最終アクセス日:2020/05/09)
・「新釈沢庵和尚法語」
「澤庵和尚來?」の項
167コマ目「(前略)和尚は寛永六年十月二十七日,五十七歳の老齢を以って玉室と共に江戸を立ち,野州大田原で別れ,途中和歌詩偈に興を遣りつゝ八月十五日上の山に着いた。(後略)」
168コマ目「(前略)寛永九年に至ると,将軍秀忠が薨去したので,その大赦に遇ひ,七月二十七日江戸に召還された。(後略)」
2食べ物の「たくあん」との関係について
前掲資料2『日本名僧辞典』
p.121「沢庵 たくあん」の項
「(前略)また沢庵の名は「沢庵漬」の「たくあん」としても知られている。これは沢庵の郷里では「千本漬」とも「百本漬」とも「貯え漬」とも言われたもので,将軍家光が東海寺に来た時,沢庵が家光に供し,家光によって命名されたと言われている。」
資料3 川上/行蔵監修,西村/元三朗監修『日本料理由来事典 中』同朋舎出版, 1990【596.21/ニ1/2R】
pp.88-89 「たくあんづけ 沢庵漬」の項
「江戸初期の名僧,沢庵和尚がはじめたことからこの名がつけられたと伝えられている。(中略)あるとき三代将軍徳川家光が東海寺を訪れた。突然のことで準備もなく「貯え漬」を茶うけに差し上げたところ,家光はその風味をたいそうお喜びになり,「これからは貯え漬けではなく,たくあん漬けとしたらよい」といい,この名になったという言い伝えがある。また,和尚の墓石がたくあんの重石に似ているからとか,「貯え」が「たくあん」になったという説のほか,糖や塩で漬けた古漬を「じゃくあん」「じゃかん」といっていたが,それが「たくあん」になったという説もある。(後略)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 各宗 (188)
- 参考資料
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- . 近世禅僧伝 1. 思文閣出版, 1982.7【188.82/キン1982.3/1】:
- 中尾 尭/編 今井 雅晴/編. 日本名僧辞典. 東京堂出版, 1976【180.2/ニ1/R】:
- 川上/行蔵?監修 西村/元三朗?監修. 日本料理由来事典 中. 同朋舎出版, 1990【596.21/ニ1/2R】:
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000283952