レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月07日
- 登録日時
- 2012/12/04 10:01
- 更新日時
- 2014/09/04 00:30
- 管理番号
- 10-3A-201212-02
- 質問
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解決
小説家・織田作之助は天王寺区と関わりが深いそうだが、どんな関係があるのか。
- 回答
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織田作之助は1913 (大正2)年10月26日に南区(現、天王寺区)生玉前町で生まれ、『織田作之助』によれば1920 (大正9)年大阪市立東平野尋常高等小学校(現、生魂小学校)に入学しました。その後、第三高等学校に入学するまでを天王寺区内で過ごしています。
著作については『織田作之助文芸事典』*2に詳しい解説がありますが、『木の都』『青春の逆説』『わが町』等々、天王寺区内の地名が舞台として登場する作品も数多く、『大阪の歴史 64号』には作品に登場する地名の一覧が掲載されています。
口縄坂には、『木の都』の中の口縄坂が登場する文章を刻んだ文学碑が建てられていて、この文学碑の写真は『わがまち天王寺』などで見ることができます。『大阪春秋 107号』によると、『木の都』『清楚』などを元に織田作之助自身が脚本を手がけた映画「還って来た男」(1944年、川島雄三監督作品)も、天王寺区内でロケが行われたそうです。
1947 (昭和22)年1月10日、織田作之助は35歳の若さで東京の地で亡くなりますが、その葬儀は、同級生が住職を勤める天王寺区の楞厳寺(りょうごんじ)で執り行われ、墓も同寺内に建立されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (910 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『織田作之助』大谷晃一著 沖積舎 1998 ISBN 4-8060-7019-X<当館書誌ID: 0000683816>
- 『織田作之助文芸事典』浦西和彦編 和泉書院 1992 ISBN 4-87088-558-1<当館書誌ID:0000271214>
- 『大阪の歴史 64号』大阪市史編纂所編 大阪市史料調査会 2004 <当館書誌ID:5110814685>
- 『わがまち天王寺』[大阪市]天王寺区役所 1996 <当館書誌ID:0000669595>
- 『大阪春秋 107号 おおさかと映画』大阪春秋社 2002 <当館書誌ID:0010322876>
- キーワード
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- 大阪府大阪市天王寺区
- 織田作之助
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000115270