レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年05月05日
- 登録日時
- 2023/01/10 17:17
- 更新日時
- 2023/01/24 09:51
- 管理番号
- 遠野-2005-20
- 質問
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解決
南部藩の飢饉について知りたい。飢饉の起こった年と餓死者の数。
- 回答
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<飢饉の起こった年>
「岩手県の歴史」(森嘉兵衛 山川出版社 1972)p124~p125の南部藩の凶作・水害年表より抜粋
1695 元禄8年 飢饉 飢民救済34000人、酒造禁止、参勤免除
1702 元禄15年 飢饉 霖雨・飢人救済54128人、餓死者2万5~6000人という。
1755 宝暦5年 大飢饉 霖雨・早冷・霜害、熱病流行、餓死者49594人。救貧小屋建立にて収容するもほとんど餓死す。
1783 天明3年 大飢饉 収穫皆無の所多し、霖雨・早冷・大霜害、餓死者多く、暴動起こる。
1784 天明4年 飢饉 前年の余殃強く、悪疫流行病死者多し
1785 天明5年 飢饉 霖雨・低温・大風雨・山崩れ・落橋・永代荒地多し
1786 天明6年 大飢饉 霖雨・低温・大風雨・被害甚大
1787 天明7年 飢饉 霖雨・大洪水・山崩れ・落橋・永代荒地多し
1833 天保4年 大飢饉 霖雨・早冷
1835 天保6年 大飢饉 霖雨・早冷・霜害
1836 天保7年 大飢饉 霖雨・早冷・大風雨・百姓一揆起る
1837 天保8年 大飢饉 早冷、前年の余殃強く、疫病流行死者多し
1838 天保9年 大飢饉 霜害・早冷・収穫皆無の所多し
<餓死者の数>
「岩手県の歴史」(細井計 山川出版社 1999)p227~p231より盛岡藩の四大飢饉の餓死者
元禄の飢饉 元禄8年 餓死者 約5万人
元禄15年 餓死者 約2万500から2万600人
宝暦の飢饉 宝暦5年 餓死者 4万9594人
天明の飢饉 天明3年~天明4年 餓死者 4万858人 病死者2万3840人
天保の飢饉 天保4年~天保5年 疫死483人(報恩寺のみ)
南部藩の飢饉の詳細については「飢饉考 岩手史叢 第八巻」(岩手県立図書館 編 岩手県文化財愛護協会 1984)に書かれている。
- 回答プロセス
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<所蔵資料からの調査>
「岩手県の歴史」(森嘉兵衛 山川出版社 1972)p124~p125に南部藩の凶作・水害年表があり、1615年の元和元年から1870年の明治3年まで記されている。概況で飢饉、大飢饉となっている年は下記の通り。
「岩手県の歴史」p124~p125より抜粋
1695 元禄8年 飢饉 飢民救済34000人、酒造禁止、参勤免除
1702 元禄15年 飢饉 霖雨・飢人救済54128人、餓死者2万5~6000人という。
1755 宝暦5年 大飢饉 霖雨・早冷・霜害、熱病流行、餓死者49594人。救貧小屋建立にて収容するもほとんど餓死す。
1783 天明3年 大飢饉 収穫皆無の所多し、霖雨・早冷・大霜害、餓死者多く、暴動起こる。
1784 天明4年 飢饉 前年の余殃強く、悪疫流行病死者多し
1785 天明5年 飢饉 霖雨・低温・大風雨・山崩れ・落橋・永代荒地多し
1786 天明6年 大飢饉 霖雨・低温・大風雨・被害甚大
1787 天明7年 飢饉 霖雨・大洪水・山崩れ・落橋・永代荒地多し
1833 天保4年 大飢饉 霖雨・早冷
1835 天保6年 大飢饉 霖雨・早冷・霜害
1836 天保7年 大飢饉 霖雨・早冷・大風雨・百姓一揆起る
1837 天保8年 大飢饉 早冷、前年の余殃強く、疫病流行死者多し
1838 天保9年 大飢饉 霜害・早冷・収穫皆無の所多し
「岩手の歴史」(森嘉兵衛 岩手日報社 1954)p96に南部藩凶作年表があり、1615年から1855年までの30年ごとの間に起った凶作、飢饉の回数が書かれている。
「岩手県の歴史」(細井計 山川出版社 1999)p227~p231に盛岡藩の四大飢饉として元禄の飢饉、宝暦の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉の概況などが記されている。
<元禄の飢饉>「岩手県の歴史」(細井計 山川出版社 1999)p228
元禄八年十一月、藩では幕府に「領内不作の儀」について報告した結果、来春の参勤が免除され、その費用をもって飢饉対策に充当した。 (中略) 翌年の六月末日までには三万四〇〇〇人にもおよぶ飢人を救済し、「餓死人御座無く候」(雑書)と幕府に報告している。これに対して『飢饉考』は「御領分中餓死すでに五万に及ぶ」と伝えている。
元禄十五年も霖雨と大風で、年貢の不足は八万九三〇俵(二万九九四四石)となった。 (中略) 二万五、六百人余の餓死者をだし、飢人の救済も五万一二五三人に達した。
<宝暦の飢饉>「岩手県の歴史」(細井計 山川出版社 1999)p228~p229
宝暦五年(一七五五)年は六月から気候不順で連日降雨が続き、 (中略) 宝暦六年の代官の報告書によると、同五年の餓死者四万九五九四人、空家が七〇四三軒にも達し、なかでも三戸郡五戸通の餓死者は一万一九二七人と最高を示し、ついで岩手郡の雫石通と沼宮内通の被害がひどかった。
<天明の飢饉>「岩手県の歴史」(細井計 山川出版社 1999)p229~p230
天明三(一七八三)年から同七年にかけて発生した全国的な大飢饉で、とくに奥羽地方の被害が甚大であった。 (中略) 東顕寺境内には文化七(一八一〇)年建立の餓死者供養塔があるが、それには天明三年十月から翌年三月までのあいだに、餓死者四九〇人を供養したと記されている。全領ではついに餓死者四万八五八人、病死者二万三八四〇人、空家一万五四五軒、他領への逃散者三三三〇人を数えるに至った。
<天保の飢饉>「岩手県の歴史」(細井計 山川出版社 1999)p231
天保三年(一八三三)年から同九年にかけての盛岡藩は、霖雨・早冷という気象条件をおもな原因とし、 (中略) 報恩寺の裏山にある餓死者供養塔には、天保四年・五年の「疫死四百八十三人の墓」と記されている。
「岩手県史 第12巻」(岩手県 杜陵印刷 1966)p218~p271の年表に飢饉の発生した年と餓死者が書かれている。
「岩手県史 第12巻」p218~p219より抜粋
元禄八(1695) この年霜雨早冷にて大凶作となる。米作損毛高十万俵、南部藩四大飢饉の一となる。藩庫より米穀・味噌等を放出すれど餓死者四万余人に達する。
「岩手県史 第12巻」p241より抜粋
宝暦五(1755) この年気候稀なる不順となり霖雨夏冷洪水加へて悪疫起る。未曾有の凶作は南部藩四大飢饉の一となる。損毛十九万九千七百石収穫皆無の処多く餓死者四万九千五百九十四人疫死を加へると六万人を超え、(後略)
「岩手県史 第12巻」p249~p250より抜粋
天明三(1783) この年五月より霖雨低温土用に入り北風吹き暑気全くなし、八月大降霜により大凶作となる。米作損毛十八万九千二百二十石皆無作の処多し。米価忽ち奔騰し、各処に米騒動起き救貧施米もとどかず、加えて悪疫流行餓死疫死するもの多し大飢饉となる。翌春までの諸代官所の調査は餓死者四万八百五十人、疫死二万三千八百四十八人、他領逃亡三千三百三十人となる。
天明五(1785) この年の南部領前々年の余殃未だ衰へざるに霖雨低温大風雨洪水あり、米作損毛十七万七千三百六十石の減収飢饉となる。(後略)
天明六(1786) この年霖雨低温風雨洪水等あり皆無作の処多く飢饉となる。米作損毛高十六万六千七百五十石余。
「岩手県史 第12巻」p268~p269より抜粋
天保四(1833)盛岡南部領霖雨、早冷、降霜、大凶作となり、収穫皆無作の処多し。損毛高二十二万三千石稀有の飢饉となり餓死者多し。
天保六(1835)盛岡南部領春より夏にかけ気候不順霖雨洪水相次ぎ、暑気薄く虫害あり凶作となる。損毛高二十万石、飢饉となる。
南部藩の飢饉の詳細については、『飢饉考』横川良助(原著)に書かれている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 8版)
- 農業経済・行政・経営 (611 8版)
- 参考資料
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森嘉兵衛 著 , 森, 嘉兵衛, 1903-1981. 岩手県の歴史. 山川出版社, 1972. (県史シリーズ ; 3)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001211274-00 -
細井計 [ほか]著 , 細井, 計, 1936- , 児玉, 幸多, 1909-2007. 岩手県の歴史. 山川出版社, 1999. (県史 ; 3)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002819082-00 , ISBN 4634320304 -
森嘉兵衛[ほか]共著 , 岩手日報社 , 森, 嘉兵衛. 岩手の歴史. 岩手日報社, 1954.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007951518-00 -
岩手県立図書館 編 , 岩手県立図書館. 岩手史叢 第8巻. 岩手県文化財愛護協会, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001698716-00 -
岩手県. 岩手県史 第12巻 (年表). 杜陵印刷, 1966.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000870580-00
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森嘉兵衛 著 , 森, 嘉兵衛, 1903-1981. 岩手県の歴史. 山川出版社, 1972. (県史シリーズ ; 3)
- キーワード
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- 飢饉
- 岩手県 -- 歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 「岩手県の歴史」(森嘉兵衛 山川出版社 1972)と「岩手県の歴史」(細井計 山川出版社 1999)、「岩手県史」(岩手県 杜陵印刷 1966)はそれぞれ餓死者の数にずれがあるので、餓死者の数は発行年の新しい「岩手県の歴史」(細井計 山川出版社 1999)の数で記した。
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000326914