レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月18日
- 登録日時
- 2013/11/18 16:06
- 更新日時
- 2013/11/18 22:41
- 管理番号
- 20131118-1
- 質問
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解決
楊守敬について知りたい。
- 回答
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楊守敬(ようしゅけい) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%A5%8A%E5%AE%88%E6%95%AC/ (2013/11/18確認)
(1839―1915)
中国の清(しん)末から民国の初めにかけての学者。字(あざな)は惺吾(せいご)。隣蘇(りんそ)老人と号した。湖北省の人。・・・
目録学は、1880年(明治13)清国公使館員として来日したとき、中国の古書が日本に伝存するのに刺激されて研究したもので『日本訪書志』の著がある。
書道の学では金石学(主として碑刻文字の研究)に基礎を置いて旧来の書学を一新した。書家としては明治初年の日本の書道界に大きな影響を残している。
楊守敬 【ようしゅけい】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E6%A5%8A%E5%AE%88%E6%95%AC (2013/11/18確認)
世界大百科事典 第2版の解説
ようしゅけい【楊守敬 Yáng Shŏu jìng】 1840‐1914
中国,清の学者。字は惺吾,晩年鄰蘇老人と号した。湖北宜都の人。博学をもって知られ,特に地理の学にくわしく,《水経注》の研究に力を用いた。《水経注要删》40巻,熊会貞と共著の《水経注疏》40巻等の業績がある。訓詁学にも通じ,金石文字の考証を行った。能筆で,特に鐘や鼎の文字の模写を得意とした。黎庶昌の随員として日本に滞在中,書籍の探訪につとめ,数十万巻の善本を得た。《日本訪書志》はその書誌学的研究である。
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
楊守敬 よう-しゅけい
1839-1915 中国の学者,書家。
道光19年4月15日生まれ。博学で知られ,歴史地理学では「水経注」を研究。目録学では,明治13年(1880)来日の際,日本に伝存する中国古書を収集・研究し「日本訪書志」をあらわした。金石文字の考証,書道にもすぐれた。1915年1月9日死去。77歳。湖北省出身。字(あざな)は惺吾。号は鄰蘇老人。
ようしゅけい【楊守敬】国史大辞典
Yang Shou-ching
一八三九 - 一九一五
清末・民国初期の学者、書家。字は惺吾、号は鄰蘇老人。湖北省宜都の人。・・・
明治十三年(一八八〇)、清国出使日本大臣何如璋の招きに応じて来日、日下部鳴鶴(くさかべめいかく)、巌谷一六(いわやいちろく)、松田雪柯(せっか)らに北派の書法を伝えた。その傍ら中国で亡逸し、日本にのみ伝存する善本古書を調査蒐集し、『古逸叢書』を編輯した。明治十七年に帰国、湖北省の黄岡教諭などの学官を歴任し、一時礼部顧問官に推挙された。民国三年(一九一四)、新設の参政院参政となって北京に赴いたが、翌年一月九日(旧暦の甲寅十一月二十四日)没した。・・・
書学・金石学に関するものに『激素飛青閣平碑記』『激素飛青閣平帖記』『望堂金石文字』『寰宇貞石図』『学書邇言』、目録学に『日本訪書志』『留真譜』、地理に畢生の大著『水経注疏』などがある。
[参考文献]
呉天任『楊惺吾先生年譜』、袁同礼「楊惺吾先生小伝」(『図書館学季刊』一ノ四)、杉村邦彦「『雪柯日記』に現われた楊守敬と日本人書家との交流」(『出版ダイジェスト』一一四〇・一一五九・一一六九)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国 (222 9版)
- 書.書道 (728 9版)
- アジア (292 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 楊守敬 ようしゅけい
- 水経注疏 すいけいちゅうそ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000140683