レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月17日
- 登録日時
- 2013/11/17 22:42
- 更新日時
- 2013/11/17 23:16
- 管理番号
- 20131116-5
- 質問
-
解決
王直について知りたい。
- 回答
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王直 【おうちょく】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%8E%8B%E7%9B%B4 (2013/11/17確認)
世界大百科事典 第2版の解説
おうちょく【王直 Wáng Zhí】 ?‐1559
中国,明の密貿易業者,倭寇(わこう)の頭目として有名。汪直ともかかれる。安徽省歙県(しようけん)の人。五峰とも呼ばれた。はじめ塩商を営んだが,失敗すると仲間の葉宗満(しようそうまん)らと海船を造り,禁制品の硫黄,生糸などをもって日本,呂宋(ルソン),安南,タイ,マラッカ方面と交易し,巨富を築いた。明の海禁政策が強化されると,彼は五島,平戸を本拠として日中の密貿易業者らを率い中国沿海を略奪した。いわゆる倭寇である。・・・
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
王直 おう-ちょく
?-1559 明(みん)(中国)の密貿易者。
天文(てんぶん)9年日本に来航。五島を本拠地に密貿易をおこなう。のち倭寇(わこう)の頭目となり,中国沿岸で略奪をくりかえしたが,明の浙江総督胡宗憲の策略にかかり,帰国後の嘉靖38年12月処刑された。安徽省(あんきしょう)出身。号は五峰。汪直ともかく。
デジタル大辞泉
おう‐ちょく 〔ワウ‐〕 【王直】
[?~1557]中国、明代の倭寇(わこう)の首領。歙(しょう)県(安徽省)の人。密貿易の取り締まりを避けて、平戸・五島を本拠に倭寇を率い明の沿岸を襲う海賊となったが、勧誘により帰国して殺された。
大辞林 第三版
おうちょく【王直】
(?~1557) 中国,明代の人。倭寇(わこう)の首領。日本・ルソン・安南などと密貿易。のち,五島に根拠地をおき日本の海賊を率いて徽王(きおう)と号し,中国沿岸を略奪して回った。
王直(おうちょく) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%8E%8B%E7%9B%B4/ (2013/11/17確認)
(?―1559)
中国、明(みん)代の海商で倭寇(わこう)の頭目。安徽(あんき)省歙(しょう)県の出身。本名は鋥(てい)、号は五峰。明朝の海禁政策下に、彼は同郷の徐惟学(じょいがく)と国禁を犯して海外に密航した。同郷の先輩許棟(きょとう)らの配下に、1545年6月、日本貢使僧寿光らの帰国に随行して日本に来航し、博多(はかた)の海商倭助才門(わのすけざいもん)らを浙江(せっこう)省の双嶼(そうしょ)港に誘い、中国人、ポルトガル人、南洋人らと国際的密貿易を行った。・・・
おうちょく【王直】 国史大辞典
? - 一五五九
いわゆる後期倭寇の首魁と目された明人。五峰と号した。『明史』『明史藁』などには汪直と書かれている。中国安徽省の出身で、はじめ塩商であったが任侠をもってきこえた。青年時代おちぶれて遊民となったが、やがて密貿易家に転じた。一五四〇年ころ、明政府の海外貿易禁制のゆるみに乗じて広東にゆき、硝石・硫黄・生糸・綿などの禁制品を積んで暹羅(シャム)や南洋方面で密貿易を行なって、数年で巨富をたくわえた。王直の日本来航は、『新豊寺年代記』では天文十一年(一五四二)、『鉄炮記』では同十二年、『日本一鑑』では同十四年と伝えられている。『鉄炮記』の王直は、大明儒生五峰先生として種子島の鉄砲伝来に一役買っている。・・・
[参考文献]
後藤秀穂「倭寇王王直」(『歴史地理』五〇ノ一・二・四)、李献璋「嘉靖年間における浙海の私商及び舶主王直行蹟考」下(『史学』三四ノ二)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国 (222 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 王直
- 汪直
- 五峰
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000140668