レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/07/19
- 登録日時
- 2020/08/23 00:30
- 更新日時
- 2020/08/23 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-200131
- 質問
-
解決
1859年ごろ,函館に初めてできた塾「総かく館」が御殿坂西にあった。
1 御殿坂の現在の場所が知りたい。武田斐三郎の家の隣にあったようだ。
2 「総かく館」についての資料がみたい。
- 回答
-
以下の資料を御紹介します。
1 御殿坂の現在の場所について
資料1「函館再訪」の項(p60)
「(前略)諸術調所すなわち武田塾の跡は,いま巨大な函館病院のビルディングになっている。そこは,まっすぐに岸壁へ向かって下っていく基坂(元の御役所坂または御殿坂)の上端西側に位置していて(後略)」
また,「函館市公式観光情報-『基坂(もといざか)』」(https://www.hakobura.jp/db/db-view/2010/09/post-18.html ,最終アクセス日:2020/07/19)にも記述がありました。
「(前略)住民の間では「お役所坂」「御殿坂」の名で親しまれていました。(中略)所在地 函館市末広町(後略)」
2 「総かく館」についての資料がみたい。
資料2「第8章 第1節 諸術調所」の項(p591)
「(前略)二 諸術調書の設営 ついで箱館奉行所は,御殿坂(現在の基坂)に,武田斐三郎の役宅をあたえたが,この役宅につづく隣の明家作を買上げ,これに建増しをして,諸術調所とし,ここに分析所はもとより,最寄の役宅つづきへ,鉄砲張立所なども作り,やがては西洋発明の小銃も作ることとし,これを「綜覈館」と名づけた。(後略)」
資料3「諸術調所」の項(p664)
「(前略)調所舎屋は御殿坂西の斐三郎役宅の隣家を買って増築し,これを綜覈館と読んだ。綜覈とは綜合的に研究するという意味である。(後略)」
この資料は,「函館市史 デジタル版」でも閲覧可能です。
http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-05/shishi_03-05-13-01-01.htm (最終アクセス日:2020/07/19)
【調査資料】
資料1 河野仁昭『新島襄への旅』京都新聞社, 1993【289.1/ニシ932】
資料2 倉沢剛『幕末教育史の研究 1』吉川弘文館, 1983【372.1/832/1】
資料3 函館市『函館市史 通説編 第1巻』函館市, 1980【211.6/ハ2-2/1】
資料4 『函館市史 デジタル版』 函館市中央図書館 デジタル資料館 http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/shishi_index.htm (最終アクセス日:2020/07/19)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 北海道地方 (211 9版)
- 参考資料
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- 河野 仁昭/著. 新島襄への旅. 京都新聞社, 1993.2【289.1/ニシ1993.2】:
- 函館市/編集. 函館市史 通説編 第1巻. 函館市, 1980【211.6/ハ2-2/1】:
- 倉沢 剛/著. 幕末教育史の研究 1. 吉川弘文館, 1983.2【372.1/1983.2/1】:
- キーワード
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- 北海道函館市
- 江戸--後期--教育史--北海道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000286176