レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年08月20日
- 登録日時
- 2016/08/20 15:35
- 更新日時
- 2023/06/09 13:41
- 管理番号
- 姫路-190
- 質問
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解決
日露戦争当時、ロシア兵の捕虜が姫路にきていた。捕虜の写真はないか。
- 回答
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日露戦争時の俘虜収容所について
『播磨の100年』62頁~64頁「ロシア捕虜来姫」
63頁に船場本徳寺での捕虜たちの記念写真がある。
『船場の歴史』109.110頁「船場本徳寺・景福時寺が捕虜収容所に」
『姫路市史』第5巻上 573.574頁 捕虜の人数等記述あり。本文に写真はない。口絵写真13「日露戦争捕虜収容所」(坂田町 正法寺)
他、写真はないが、当時の状況がわかる参考資料として『捕虜たちの赤かぶら』がある。
参考(追加)
第一次大戦時の捕虜収容について
『文化財だより 創刊号〜第55号』. 姫路市文化財保護協会, 2005.
260~274頁「第一次世界大戦と姫路俘虜収容所」第一次大戦時のドイツ・オーストリア兵俘虜の収容についての記録が載っている。
写真も何枚か掲載されている。
『船場の歴史』109.110頁「船場本徳寺・景福時寺が捕虜収容所に」
110頁に「船場本徳寺境内の噴水」の写真があり、「ドイツ兵捕虜が故郷の古城を模して制作したもの」とある。
『姫路市史』第5巻下 口絵写真5「船場本徳寺に建てられた捕虜収容所」.口絵写真6「ライン河畔の古城を模した噴水」
『姫路市史』第5巻下 5~8頁「第一次世界大戦への参戦と捕虜の収容」記述あり。
大正4年9月末に捕虜は、青野ヶ原(加西市)に7月以降建築されていた捕虜収容所に移動させられた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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神戸新聞姫路支社 編著 , 神戸新聞社. 播磨の100年. 神戸新聞総合出版センター, 1989.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002058620-00 , ISBN 4875216807 -
出口 隆一 著 , 出口‖隆一. 船場の歴史 : 姫路城下町. 〔出口隆一〕, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046104502-00 -
姫路市史編集専門委員会 編 , 姫路市. 姫路市史 第5巻 上 (本編 近現代 1). 姫路市, 2000.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002890964-00 -
三木, 治子, 1920- , 三木治子 著. 捕虜たちの赤かぶら : 明治期播磨の農婦口伝. 培養社, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002651270-00 -
姫路市文化財保護協会 〔編〕 , 姫路市文化財保護協会. 文化財だより 創刊号〜第55号. 姫路市文化財保護協会, 2005.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I045276891-00
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神戸新聞姫路支社 編著 , 神戸新聞社. 播磨の100年. 神戸新聞総合出版センター, 1989.
- キーワード
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- 日露戦争
- 捕虜
- 俘虜
- 第一次世界大戦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000196228