レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年10月21日
- 登録日時
- 2019/09/26 10:57
- 更新日時
- 2019/09/26 12:29
- 管理番号
- 京歴-455
- 質問
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解決
大覚寺の大沢池にある天神島について知りたい。
- 回答
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『指定庭園調査報告,京都府』(①)「大澤池附名古曽瀧址」のp.7に天神島について記述がある。
このページによると天神島は500余坪あって、天満宮の小祠があり、数十本の中小の松が植えられ、橋が渡されている。折り込み図(ページ付なし、p.9の前のページ)「大澤池附名古曽瀧址平面図」があり、大沢池の北部に浮かぶ天神島を確認できる。
『嵯峨誌 平成版』(②)のpp.26-27に、天神島についての記述がある。
それによると、天神島には菅原道真を祀った天神社があるが、それは大覚寺創建の際に菅原道真が奉状を起草し、俗別当の職に就いたためである。この奉状(「大覚寺奏請文」)は、同書p.406に掲載されている。
大覚寺ホームページのコンテンツ「大覚寺とは」内、「天神島のおはなし」のページ(③)に、天神島の解説がある。
②と同様の記述に加え、大覚寺の初代門跡となった恒寂入道親王に関する説を紹介している。
恒寂入道親王は、天皇継承候補でありながら政争にまきこまれ、天皇になることなく亡くなったが、このページによると、天神島には恒寂入道親王とその母・淳和太后の墓所があり、その怨霊を鎮めるために菅原道真を祀っているのではないか、という。
③の参考文献としてあげられている『嵯峨大覚寺』(④)のp.72にも、上記と同様の説が掲載されている。
『史跡大覚寺御所跡発掘調査概報』(⑤)は、p.27に天神島東端部分の発掘調査結果を掲載している。
『史跡大覚寺御所跡発掘調査報告』(⑥)p.210で、天神島の北側を開削した時期が近世以降と考えられることから、もともと天神島は地続きであったと推測している。
『大覚寺大沢池景観修復プロジェクト:古代と現代をむすぶ文化遺産』(⑦)のp.32やp.56などに大沢池の地図があり、池の北部に天神島があることが確認できる。
pp.58-59には、天神島の樹木活力度調査の結果が載っている。
pp.19-20、pp.154-155に、大沢池の水草除去のために放たれたソウギョという魚が、天神島のふちに生育する草の根をかじるため、島の底部がえぐれ、一部くずれる危険性があったことが書かれている。
pp.166-167によると、ソウギョ捕獲後、天神島の浸食が止まり、植えたハスが咲くようになったという。
- 回答プロセス
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大覚寺や大沢池に関する資料を検索し、天神島についての記述を探した(①~②,④~⑦)。
大覚寺ホームページの天神島についての記述(③)と、その出典である『嵯峨大覚寺』(④)を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629)
- 参考資料
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- ① 史蹟名勝天然記念物保存協会編.指定庭園調査報告,京都府.刀江書院,1928. (当館請求記号:K0||629.21||Sh89||)
- ② 嵯峨教育振興会編集.嵯峨誌:平成版.嵯峨教育振興会,1998. (当館請求記号:K16||291.62||Sa15||)
- ③ 「天神島のおはなし‐旧嵯峨御所 大本山 大覚寺」https://www.daikakuji.or.jp/about/story_tenjinshima/ (最終確認日:2019-7-13.)
- ④ 村岡空著.嵯峨大覚寺:人と歴史.朱鷺書房,1988. (当館請求記号:K161||188.55||D21-M||)
- ⑤ 大覚寺編.史跡大覚寺御所跡発掘調査概報.大覚寺,1986. (当館請求記号:K161||210.025||D21||)
- ⑥ 舊嵯峨御所大覚寺著.史跡大覚寺御所跡発掘調査報告.舊嵯峨御所大覚寺,1997. (当館請求記号:K161||210.025||D21||)
- ⑦真板昭夫,河原司編.大覚寺大沢池景観修復プロジェクト:古代と現代をむすぶ文化遺産.世界思想社,2009. (当館請求記号:K161||702.17||Ma31||)
- キーワード
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- 大覚寺
- 大沢池
- 天神島
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000261790