レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20220517
- 登録日時
- 2022/07/14 00:30
- 更新日時
- 2022/07/16 10:47
- 管理番号
- 0000202243
- 質問
-
解決
佐賀の菓子について
1.小城で羊羹がつくり始められたのはいつ頃か。
2.白玉まんじゅうには最初からあんが入っていたのか。
3.小城は小豆の産地か。
- 回答
-
御質問の件について、以下のとおり回答いたします。
1.「小城で羊羹がつくり始められたのはいつ頃か」については、次の資料に記載がありました。
(1)『羊羹資料館案内』 (株)佐賀広告センター/編 (株)村岡総本舗 1996
p.27 小城羊羹は明治五年森永惣吉創めて其の製造に着手せるものである
(2)『小城歴史読本』 小城郷土史研究会/編 佐賀県小城市教育委員会 2012
p.78 明治時代の初めには蛭子町の森永惣吉によって小城の羊羹づくりが始まりました。
(3)『小城町史』 小城町史編集委員会/編 小城町 1974
p.505 小城で羊羹製造の口火を切り、先駆的な役割を果たしたのは、蛭子町の森永惣吉であった。
(4)『肥前の菓子』 村岡 安広/著 佐賀新聞社 2006
p.143 森永惣吉が家運再建のため懸命の努力をし肴屋・会席業を再開して羊羹業に至った。
2.「白玉まんじゅうには最初からあんが入っていたのか」については、次の資料に記載がありました。
(4)『肥前の菓子』 村岡 安広/著 佐賀新聞社 2006
p.14 「白玉饅頭のルーツは中国南部の紹興団子(しょうこうだんご)に間違いないだろう」~紹興
団子はゴマあんを入れるのが特長だ。
(5)『肥前の菓子』 佐賀広告センター/編 村岡総本舗 1999
p.45 「白玉まんじゅう」は韓国の月見だんご「松片」を思わせる菓子です。~月見だんごは中国か
ら韓国に渡り、日本にも伝わったと考えられなくもありません。
3.「小城は小豆の産地か」については、次の資料に記載がありました。
(6)『羊羹百話』 (株)佐賀広告センター/編 (株)村岡総本舗 1991
p.41 佐賀でも南山・北山地域を中心としてつくられていました。この地域は、旧小城郡に属し、そ
こでとれた山の幸は小城の町で売買されました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 食品.料理 (596)
- 参考資料
-
-
(1)『羊羹資料館案内』 (株)佐賀広告センター/編 (株)村岡総本舗 1996
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070663374-00 -
(2)『小城歴史読本』 小城郷土史研究会/編 佐賀県小城市教育委員会 2012
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070961146-00 -
(3)『小城町史』 小城町史編集委員会/編 小城町 1974
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002594836-00 -
(4)『肥前の菓子』 村岡 安広/著 佐賀新聞社 2006
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008138441-00 , ISBN 4882981564 -
(5)『肥前の菓子』 佐賀広告センター/編 村岡総本舗 1999
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003568438-00 -
(6)『羊羹百話』 (株)佐賀広告センター/編 (株)村岡総本舗 1991
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070820426-00
-
(1)『羊羹資料館案内』 (株)佐賀広告センター/編 (株)村岡総本舗 1996
- キーワード
-
- 小城羊羹
- 白玉饅頭
- 白玉まんじゅう
- 小豆
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000318781