レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20220313
- 登録日時
- 2022/05/04 00:30
- 更新日時
- 2022/05/04 09:54
- 管理番号
- 0000202208
- 質問
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解決
佐賀県出身で、大正から昭和初期に唱歌「蛙の子」や大阪府池田師範学校の校歌、宝塚歌劇団の劇伴曲などを作曲した小部卯八の経歴、特に生没年を知りたい。
- 回答
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御質問の件については当館の調査した資料では確認できませんでしたが、小部卯八について記載のある資料がありましたので、御紹介いたします。
(1)『佐賀新聞に見る佐賀近代史年表 明治編 下』 佐賀近代史研究会/編 佐賀新聞社 2011
p.173 1904(明治37)年4月 その他 4・26〈2〉佐賀市の小部卯八は東京音楽学校に入学、県出身初の入学
p.269 1908(明治41)年4月 その他 4・5〈2〉東京音楽学校を小部卯八が卒業
(2)『佐賀新聞 1904(明治37)年4月26日』2面
音樂學校入學 市内明治橋通小部卯八氏は〓般東京音樂學校に入學せり本縣人にし〓〓校に入學せしは同氏を以て其の嚆矢とすと云ふ
※〓は文字がつぶれているため判読不能
(3)『佐賀新聞 1908(明治41)年4月5日』2面
東京音樂學校卒業 本縣士族小部卯八氏は全校甲種師範科を卒業せり
以下の資料は、御質問の小部卯八と同一人物かどうか確認ができませんでしたが、参考までに御紹介いたします。
(4)『佐賀市史 第3巻』 佐賀市史編さん委員会/編 佐賀市 1978
p.826 ~第七号には三年生に高田保馬、小部竹風(後の冬仙、卯八カ)~
(5)『佐賀の文学』 佐賀の文学編集委員会/編 新郷土刊行協会 1987
p.176 ~活動をリードした生徒をあげると、三〇年から三一、二年の探真生、副島千八、大木桃江、三二年の鴻巣盛広、小部竹風、~
p.177 ~小部竹風は、意識的に田園牧歌調の歌をよみ新味をみせた。~
p.179 ~この『初声』は現物のないまぼろしの雑誌であるが、~同人は小部冬仙(卯八)と渋谷夕照を加えた四人であったとしている。二三歳の酒見以外は一七、八歳で、~小部と渋谷は佐賀中学を中退した浪人だった。 ※肖像写真あり(白黒)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『東京音楽学校卒業生氏名録』18ページに氏名と本籍の記載あり。【国立国会図書館デジタルコレクション】https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918760 13コマ ※2022.5.4確認
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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(1)佐賀近代史研究会 編 , 佐賀近代史研究会. 佐賀新聞に見る佐賀近代史年表 明治編 下. 佐賀新聞社, 2011.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011207884-00 , ISBN 9784882981763 -
(4)佐賀市史編さん委員会 編 , 佐賀市. 佐賀市史 第3巻. 佐賀市, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I054202085-00 -
(5)佐賀の文学編集委員会 編 , 新郷土刊行協会. 佐賀の文学. 新郷土刊行協会, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001905237-00
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(1)佐賀近代史研究会 編 , 佐賀近代史研究会. 佐賀新聞に見る佐賀近代史年表 明治編 下. 佐賀新聞社, 2011.
- キーワード
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- 小部卯八
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000315894