レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年7月6日
- 登録日時
- 2020/12/01 15:35
- 更新日時
- 2021/01/26 09:47
- 管理番号
- 中央-1-0021419
- 質問
-
解決
さいたま市中央区大戸について、以下のことが知りたい。
1.さいたま市中央区大戸町6-2-23にある地蔵院について
・いつから現在の位置に設置されたものか。
・現在の位置に設置される前にどこか他の場所にあったものなのか。
・どういう経緯・目的で現在の位置に設置されることになったのか、移転された理由はなにか。
2.江戸時代の大戸村の絵図(特に現在の大戸小学校から大戸公園あたりを網羅したもの)はあるか。
3.『新編武蔵風土記稿』の大戸村の箇所に記載のある「カウキン塚(こうきんづか)」について
・具体的にどの場所にあった塚なのか。
・この塚に何か意味があるのか。
- 回答
-
1.茨城県鹿嶋市にある「宗教法人鹿嶋山地蔵院」の支院として、供養や祈願、法要等を行っている宗教法人ということが分かった。
「宗教法人鹿嶋山地蔵院ホームページ」(2021年1月26日確認)
http://jizouin.jp/
大戸6丁目にある地蔵院に確認をしたところ、あくまでも支院であるため、大戸の地に歴史や縁がある訳ではないとのこと。
2.さいたま市図書館の所蔵資料を確認したが、江戸時代の大戸村の絵図は見つからなかった。探した中で一番古い時代の絵図は明治44年頃のもので、以下の資料の巻末に収録されている。
・『明治末期の与野町大戸』武井 武/著 与野市 1990年
巻末「与野町大字大戸略図(明治44年頃)」
3.以下の本に記述があった。
・『明治末期の与野町大戸』武井 武/著 与野市 1990年
p15「高金塚(こうきんづか)と呼ばれる塚が北部(現在の五丁目二〇番、伊丹儀博氏屋敷内)にあった。村人はこれを一つの名所としていたのであるが、今は存在していない」と書かれている。
・『与野市史 自然・原始古代資料編』与野市総務部市史編さん室/編 与野市 1984年
p770「9 高金塚(こうきんづか)」大戸五丁目(新田)地内
「『武蔵国郡村誌』には「高金塚高四尺囲九尺四方村の北方字新田にあり」と記されており、高さ約一・三m、径三mの円形の塚であったことがわかる。また石碑がなく、その由来は明らかでないとも記されており、この塚がどのようなものであったかは不明である。伝説によれば、足利尊氏の孫足利高金を葬った塚ともいわれることからその名があり、また黄金の鎧を埋めてあるとのことから別名黄金塚ともよばれていたという。」と書かれている。
また、さいたま市地図情報のさいたま市遺跡地図から、「高金塚」の場所と簡単な情報を閲覧することができ、古墳時代の円方古墳であることが分かる。
「さいたま市地図情報」
https://www.sonicweb-asp.jp/saitama_g/
「さいたま市遺跡地図」の右側にある「地図表示」をクリックする。上部の検索窓に「高金塚」を入力し検索すると、「埋蔵文化財包蔵地」の小さなウィンドウが開く。その中の左側「地図表示」をクリックすると、場所と属性情報が表示される。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- さいたま市中央区
- 地蔵院
- 大戸
- 大戸村
- 高金塚
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000290008