レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 同志社大学 今出川図書館 (3310014) | 管理番号 (Control number) | 2012-032 | ||||||||||||||||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2012年08月09日 | 登録日時 (Registration date) | 2014年03月11日 16時57分 | 更新日時 (Last update) | 2015年04月13日 15時55分 | ||||||||||||||||||||||||
質問 (Question) | 新島襄と三田・有馬温泉とのつながりについての資料はないでしょうか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
回答 (Answer) | 【三田藩と新島襄のつながり】 ①~⑤高田義久「創設時代の同志社と三田藩士」(The Doshisha times. 2001, 558~562) ⑥中西進「今まで知らされていない史実-創設時代の同志社と三田藩士について-」(The Doshisha times. 2001, 558, p.4) に詳しく記載されております。なお、①の元となる資料は高田義久著『摂津国三田藩士族』([高田義久], 1996)、⑥の元となる資料は北康利著『北摂三田の歴史』(六甲タイムス社, 2000)です。 【三田教会と新島襄のつながり】 ⑦高橋昌郎著『明治のキリスト教』(吉川弘文館, 2003)に記述がございます。 【新島襄が三田・有馬の地を訪れた記録等】 ・新島襄全集委員会編『新島襄全集』3・4〔書簡編〕(同朋舎出版, 1987-1989)、『新島襄全集』8〔年譜編〕(同朋舎出版, 1992) ・同志社社史史料編集所 [編]『同志社百年史』〔通史編 1〕(同志社, 1979) ・河野仁昭著『新島襄ゆかりの地』〔国内編〕(同志社, 2006) ・新島襄著 ; 森中章光編『新島先生書簡集』[正](同志社校友会, 1942) ・同志社大学人文科学研究所, 同志社社史資料室編集『新島襄と関西』(同志社大学人文科学研究所, 1999) ・「京都・同志社の新島襄、有馬温泉付近の山中に炭酸水のわき水を発見」(読売新聞.1876.10.10,朝刊,2ページ) ・「新島襄 有馬温泉を推奨 八重のレシピ再現 菓子販売」(読売新聞.2013.12.15,朝刊,31ページ) (詳細につきましては回答プロセスをご覧ください。) | ||||||||||||||||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1.同志社大学人文科学研究所第15期第1研究「同志社社史資料の研究」班編集『新島襄関係文献目録』を確認 p.70-71に高田義久「創設時代の同志社と三田藩士」①~⑤(『同志社タイムス』558~562)の記載あり。 2.『同志社タイムス』→『The Doshisha times』558~562号を確認 558号4面に高田義久著「三田藩士族」の写真の後に「同志社・新島襄」の見出しで記事あり。 同面の上段に、中西進著「今まで知らされていない史実-創設時代の同志社と三田藩士について-」に 『三田藩士族』の中の同志社に関係のある記述部分が掲載されている。 (以下抜粋) ・”例えば『同志社百年の歩み』の中で述べられている様に、『同志社初代の学生中、三田出身者が数名いるが、それは明治七年ごろ、デーヴィス宣教師が有馬に避暑していた時、旧藩士の九鬼隆義にキリストの道を伝えたからであった。” ・”新島襄が明治7年(1874年)11月26日…その翌日歯の治療にエリオットの診療所を訪ね、門下生の元三田藩士佐治職との出合いから始まり、ついで旧三田藩主の九鬼隆義に対するデーヴィスの有馬でのキリスト教伝道があり” ・”しかし、同志社創設時に入学した8名の生徒の中で、6名が旧三田藩士であった事はほとんど知られていない。即ち、杉田勇次郎、佐治職、田中傅吉、大沢芳太郎、竹内雄四郎、松本栄の6名が三田から入学した同志社の最初の生徒であった。” ・”同志社に宣教師を雇う事の許可が出るよう、また学校内にキリスト教を教えられるよう、キリスト教主義の学校に道を開かせるのに最善をつくしたのは、三田藩士星崎貞幹の次男で、綾部藩家老九鬼隆周の養子となった文部少丞九鬼隆一であった(高田義久『三田藩士族』91頁より引用。)” ※『三田藩士族』は本学には所蔵がないが、Web上にテキストデータあり。 目次: http://kukihonryu.com/rekisi/sanda_sizoku/hyosi.html [参照 2014.3.13] 同志社・新島襄: http://kukihonryu.com/rekisi/sanda_sizoku/21_nijima/nijima.html [参照 2014.3.13] 参考文献: http://kukihonryu.com/rekisi/sanda_sizoku/sanko.html [参照 2014.3.17] 3.北康利著『北摂三田の歴史』の中に「同志社と三田に関係ある部分」が掲載されているという記述あり。 (『北摂三田の歴史』人文研 0178003712 216.4||K9731) http://kukihonryu.com/rekisi/sandanorekisi/mokuji.html (目次)[参照 2014.3.17]にテキストデータあり。 4.高橋昌郎著『明治のキリスト教』(吉川弘文館, 2003)〈BA60687868〉p.44-45 三田と同志社および新島襄の関係についての記載あり。 ”このような関連のなかで、三田の教会が、明治八年七月、摂津藩第三基督公会として設立された。洗礼者一六名、当日の司会者は新島襄で参会者は二五〇名、会場は九鬼家の大広間であった。” 5.有馬・三田の地を新島襄が訪れた記録について (1)『新島襄全集』(同朋舎出版, 1983-1996)〈BN00185411〉等で確認。 ・『新島襄全集 3』〔書簡編〕 p.138 明治8年6月30日 新島民治”一昨日有馬を暁三時半に出立、神戸に参り” ・『新島襄全集 8』〔年譜編〕 1875年 6月28日”学校設立事務のため、夜明け前の三時半に有馬を出発” 同年 7月7日”有馬からアメリカの友人〔A・ハーディか〕宛に手紙を送り” 同年 7月28日”摂津第三公会〔三田教会〕設立、信者十六名、仮牧師O・H・ギューリック。” 1877年 9月7日”三田公会の新築会堂開業式が行われ、聖餐式の会主を務め、『マルコによる福音書』十二章について説教する” (2)同志社社史史料編集所編『同志社百年史』(同志社, 1979)<BN01577053> 通史編1 p.83に三田藩とデイヴィス、新島の関係についての記述がある。 ”デイヴィスは旧三田藩主九鬼隆義およびその一家と親しくしていたから、この九鬼隆一を新島に紹介したのはデイヴィスであったかもしれない。” p.115~ 三田教会(公会)についてに記載されている。 (3)河野仁昭著『新島襄ゆかりの地-国内編』(同志社,2006)<BA76480122> p.37に有馬温泉(兵庫県)の項あり。 ”新島も明治八年六月以降、宣教師たちの集会に有馬温泉へ出かけることがあったし、単独で、あるいは八重と二人で出かけては数日過ごすことがあった。” (4)森中章光編『新島先生書簡集』(同志社校友会,1942)<BN06326899> p.92 明治8年6月30日新島民治宛の新島襄の手紙に記載あり。 ”一昨日有馬を暁三時半ニ出立神戸ニ参り” (5)森中章光編『新島先生書簡集 続編』(同志社校友会,1960)<BN06326899> 新島先生年譜 p.116 明治8年 6月28日 ”月曜日、この日早暁兵庫縣有馬を出発し神戸を経て大阪に帰還し” p.128 明治9年 6月28日 ”水曜日、三田公會澤茂吉・前神醇一を協力者に加える。” p.138 明治11年6月21日 ”金曜日、神戸・兵庫・大阪・三田の信徒有馬にて集會を開き出席する。” 他、p.120,121,123に新島襄による杉田勇次郎(三田)の寄留届などが掲載されている。 (6)同志社大学人文科学研究所, 同志社社史資料室編集『新島襄と関西』(同志社大学人文科学研究所:同志社社史資料室, 1999)〈BA46715260〉 p.2の「略年譜」に1877年”六月十八日―二十五日 有馬温泉で開催された宣教師会議に出席”とあり。 6.新聞記事検索 『読売新聞』本学契約データベース「ヨミダス歴史館」キーワード:新島襄&有馬で検索 (1)平成版で1件ヒット→日付:2013.12.15 朝刊 P.31 見出し:新島襄 有馬温泉を推奨 八重のレシピ再現 菓子販売 ”二人は1886年8月、東垂水村(現同市垂水区)に滞在。・・・89年8月にも再び同村で静養した。襄は同月20日、有馬温泉を八重と訪ねた。『1日に1、22回入浴し、炭酸水を飲んだ』と教え子に手紙で伝え、『大いに益するところがある』と有馬温泉を薦めている。” →『新島襄全集 8』〔年譜編〕で確認。1889年8月20日”有馬佐野屋に行く。”という記載あり。 →『新島襄全集 4』〔書簡編〕で確認。明治22年8月23日 松尾音次郎宛の書簡 p.196”暫時有馬ニ御遊ヒニ御出相成候而ハ如何、此処ニハ此ゾト申保養ハ出来申間敷モ…私共此四五日ハ滞留ノ積ナリ。…日々一回位カ又ハ二回御入浴、而シテ炭酸水(此地デ噴出ス)ナド御飲ミ被成、…益スル処アラント存候” (2)明治・大正・昭和版で1件ヒット→日付:1876.10.10 朝刊P.2 見出し:京都・同志社の新島襄、有馬温泉付近の山中に炭酸水のわき水を発見 7.Webサイト (1)宗教法人日本基督教団 摂津三田教会H.P. http://sandachurch.p1.bindsite.jp/history.html[ 参照 2014.3.25] (2)NPO法人歴史文化財ネットワークさんだ「三田ゆかりの人」(6.教育・官界の広がり 新島襄) http://www.jttk.zaq.ne.jp/rekinetsanda/yukari.html[ 参照 2014.3.25] | ||||||||||||||||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | NPO法人歴史文化財ネットワークさんだ「三田ゆかりの人」(新島襄) | ||||||||||||||||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||||||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||||||||||||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||||||||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 人物 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||||||||||||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000150508 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |