レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017.7.27
- 登録日時
- 2017/07/27 15:32
- 更新日時
- 2018/03/15 15:05
- 管理番号
- 姫路-202
- 質問
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昭和20年6月22日の川西航空機工場の空襲で京口で6人の消防士が殉職したことについて なにか記録はないか
- 回答
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①『姫路空爆の記録』姫路空襲を語りつぐ会編 1973年
261頁 「京口川沿いで五トン爆弾の至近弾を受け九人全員が殉職した」
②『姫路消防のあゆみ』姫路市消防局編集・発行 1978年
付録65頁 66~67頁「太平洋戦争と消防」において「原田分隊長以下7名の殉職者を出したり。」とある。
③『兵庫県警察史』兵庫県警察本部 1975年 390頁 988頁「消防官および常備消防員」殉職年月日6.22に7名 6.24に2名の氏名が記載されている。
※空爆の記録では9人なので、その後死亡か?慰霊碑の氏名は6月22日に8名の名が刻まれている。
人数が合わないが、図書館資料ではこれ以上のことは不明であると思われる。
- 回答プロセス
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『姫路市史 第5巻下 近現代2』にはあまり詳しい記述がない。
『姫路空爆の記録』ほかの資料にあたり、6月22日の空襲の記録をさがす。
京口の消防士殉職は『姫路空爆の記録』に記録あり、人数は9人になっている。
『姫路消防のあゆみ』では、本編は戦後の消防組織法改正(昭和23年3月7日)からだが、付録として歴史にも言及されており、消防は組織的には警察の管轄であったことがわかる。また、6月22日の空襲についても記載あり「原田分隊長以下7名の殉職者を出したり。」とある。
『兵庫県警察史 昭和編』で「消防官および常備消防員」と「警防団」の殉職者名が確認できた。
- 事前調査事項
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『姫路市史』第5巻下 近現代2
消防局で名古山の慰霊碑の写真と、人名部分の拡大コピーをもらったが、詳しいことはわからないといわれたとのこと。
- NDC
- 参考資料
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- 姫路空爆の記録
- 姫路消防のあゆみ
- 兵庫県警察史
- キーワード
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- 姫路
- 空襲
- 川西航空機姫路製作所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000219362