レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年10月31日
- 登録日時
- 2021/02/18 13:03
- 更新日時
- 2021/03/25 14:00
- 管理番号
- 中央-1-0021470
- 質問
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解決
『燈用植物』(深津正/著 法政大学出版局 1983年)のp390に、京都の竹が大野という会社を通してアメリカに輸出されたとの記載がある。(1880年~)
これに関連して、以下の2点について知りたい。
・ウィリアム・ムーア(エジソンが竹を調査するために日本に派遣した人物)について
・「大野」という会社の詳細について(履歴や現存しているかなど)
- 回答
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「大野」という会社についての詳細な資料は見つからず、現存しているかは分からなかった。
ウィリアム・ムーアについては、以下の図書および新聞記事を紹介した。一部「大野」の名前も登場する。
(1)『エジソンの生涯』マシュウ・ジョセフソン/著 矢野徹/ほか訳 新潮社 1974年
p192~193 ムーアについての記述がある。
「一八八〇年の夏、ある新聞は、エジソンがニュージャージー州のW・H・ムウアという男を雇い、日本と中国へ派遣し、そこで派遣されるタケや植物性繊維を組織的に調査させることになったと発表した」
「最初の派遣者ムウアは貿易商としての経験もあったので、良質のタケを適正な値段で規則正しく送ってもらうように、日本で輸入協定をしてきた。それで一八八〇年以降日本のタケ栽培園所有者が毎年荷馬車数台分のタケを送ってきたので、エジソン電球数百万個をつくるのに十分であった」
(2)『図説エジソン大百科』山川正光/著 オーム社 1997年
p117~ 「フィラメントの材料として選んだ日本の竹」の章にムーアについての記述がある。
「調査のために中国を経て日本に来たのはウィリアム・ムーアで、1880年から日本各地を回り、1年もの、5年もの、10年ものと段階的に、あらゆる場所の竹を採取してアメリカへ送っています。(略)その中で、京都の八幡村(当時)の竹が最も長時間点灯したといわれています。」
「大野という会社」についても、この章で触れられている。
p118「白熱電球の実用化に日本の竹が貢献したことは光栄で、現在でもエジソンと日本をつなぐエピソードとして残っています。当時の記録によると、梱包した包み紙には、竹の葉の絵と大野竹製造所の社名ならびに、丸の中に“大”の字が印刷されていました」
(3)『竹 ものと人間の文化史 10』室井綽/著 法政大学出版局 1979年
p197~199「エジソンと日本の竹」の章に、ムーアについての記述がある。
明治十二年、エジソンが焼却場で焼け残った団扇をきっかけに竹の炭素化を発見したという記述に続いて、「柄の下部に小さい日の丸がついていたので、日本製であるだろうと考え、研究の片腕といわれた補助員ウィリアム・H・ムーアを翌年の夏に日本をはじめ中国へと差し向けた。(略)日本の竹のうち京都男山石清水八幡で入手した八年から一〇年生のものが一番よいことがわかったのである」と書かれている。
(4)「エジソンと京都 竹の縁」(日本経済新聞 2020年2月28日 朝刊 42ページ)
エジソンゆかりの品を収集する親子のエピソードが綴られている。
「エジソンが八幡の真竹を使ったのは、電流が流れると発光する線状のフィラメント。(略)最も長くもったのが手近にあった扇子を解体して試した竹だった。「最も合う竹を探せ」という掛け声のもと、世界中に調査員が派遣された。日本にやって来たのが探検家ウィリアム・ムーア。京都の扇子の老舗に立ち寄った彼は、石清水八幡宮のある男山に良質の竹があると知り、八幡村(現・八幡市)で真竹を入手したと聞く」
記事の中では、筆者の父が「京都男山エジソン協会」を作ったことや、エジソンの子孫との交流についても書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 森林利用.林産物.木材学 (657 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- エジソン
- 竹
- フィラメント
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293919