レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年04月11日
- 登録日時
- 2020/05/13 08:38
- 更新日時
- 2020/06/19 14:49
- 管理番号
- 県立長野-20-009
- 質問
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解決
長野県内の寺(明科廃寺、元善光寺、薬王寺)で一番古い寺はどこか
- 回答
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県内すべての寺院について調べることはできない旨を伝えると、以下の3寺について調査希望とのこと。
1 明科廃寺(安曇野市、旧明科町)
2 元善光寺(飯田市、旧座光寺村)
3 薬王寺(辰野町)
回答時に、各寺院についてそれぞれ創建の年代について調査を行った結果についてのみ回答し、最終的な判断についてはご自身にお任せする旨を伝えた。
1.明科廃寺について
創建の年を特定する資料は見つけることができなかった。
大まかな年代を推測する資料としては、以下の通り。
・『明科廃寺址―個人住宅建替えに伴う緊急発掘調査報告書―』【最終確認2020.5.13】
出土した須恵器(土器)は7世紀後半が最も古い時期のものであることから、明科廃寺の創建時期を「7世紀の後半、それも第3四半世紀であろうと推定される」と結論付けている。(→西暦に直すと650-675年)
2.元善光寺について
『全国寺院大鑑』を参照すると、「座光如来寺」(天台宗、飯田市)p.615とあったため、こちらの名称も含めて調査した。
・『座光寺村史』(座光寺村史編纂委員会1993.1)p395-396
飛鳥時代の開創と伝わるが、歴史研究者も賛否両論とあり
室町末期まで由緒を裏付ける史料がない
● 飛鳥時代の開創と伝わる部分について
・『長野市誌』2巻p.287
善光寺の仏像が百済の正明王がもたらしたもの、それからちょうど50年後の釈迦の誕生日に信濃にもたらされたことなどは「奈良時代における創作の可能性が高」いため、「百濟伝来との伝承がある仏像が、推古朝(593-629の途中)のころに大和より科野にもたらされ、皇極朝(642-645大化の改新まで)のころに水内地方に移されたと考えるべきであろう」とある。
●遅くともこのころには成立が確定できる年代について
善光寺(長野市)の前進となっている寺であることから、参考に紹介した。
・『長野県史 考古資料編』
「信濃最古の創立伝承をもつものは長野市善光寺であるが、創建時の伽藍配置を思わせる遺構は未検出である」(p.965)と記述あり。
創建時の伽藍配置が確認できる寺としては、上田市の信濃国分寺・信濃国分尼寺の2件が挙げられていた。
・『善光寺門前町跡(3) 長野遺跡群 ―(仮称)善光寺門前町店舗併用住宅地点―』【最終確認2020.5.13】
「遅くとも9世紀代には元善町周辺に瓦葺の建物が存在したことが明らかとなっている」(p.6)とある。
3.薬王寺について
・『探訪・信州の古寺 第1巻』(郷土出版社1996.4)
「寺伝によれば、創建は推古天皇15年」(P.248-249)と記述あり。
・『辰野町誌 歴史編』(辰野町誌編纂専門委員会 1990)
「建久3(1192)年鎌倉右大将源頼朝の開基といわれる」と記述があり(p.428)。
「本尊薬師如来坐像」は「平安時代末の作と推定」されているとも記述あり(p.428)。
・薬王寺についての発掘調査報告書は探すことができなかった。
- 回答プロセス
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1.事典より、基本情報を入手する
・『長野県百科事典』を見るも、いずれも年代についての情報は得られず。
・『国史大事典』1
善光寺のみの記載あり。
「扶桑略記」、「善光寺縁起」「伊呂波字類抄」に記載があり、「伊呂波字類抄」には「推古十年に信濃国麻績村へ如来が移され」とあるとしつつも、「いずれも伝説的であって、その是非をにわかに定めることはできない」としている
2.『全国寺院大鑑』にて、寺の所在と寺名を確定する
・「座光如来寺」天台宗、飯田市(p.615)
・「薬王寺」高野山真言宗、辰野町(p.631)
・明科廃寺については記述なし
3.依頼者調査済みのインターネット上の情報を確認したが、元善光寺に関するもののみしか確認できず
・元善光寺HP「御縁起」 「推古天皇十年」という記述を確認
4.『探訪・信州の古寺 第1巻』
・「元善光寺」(座光如来寺) 伝説についてのみ。年代についての記述は確認できず (p.268-269)
・「薬王寺」 「寺伝によれば、創建は推古天皇15年」と記述あり(p.248-249)
5.各寺の位置する市町村史(誌)等を参照する
〇「元善光寺」について
・『座光寺村史』(p.395-396)
飛鳥時代の開創と伝わるが、歴史研究者も賛否両論とあり
室町末期まで由緒を裏付ける史料がない(室町時代:天正5(1577)年武田氏が寺領を寄せた)
<飛鳥時代の開創と伝わる部分について>
・『長野市誌』2巻p.287
善光寺の仏像が百済の正明王がもたらしたもの、それからちょうど50年後の釈迦の誕生日に信濃にもたらされたことなどは「奈良時代における創作の可能性が高」いため、「百濟伝来との伝承がある仏像が、推古朝(593-629の途中)のころに大和より科野にもたらされ、皇極朝(642-645大化の改新まで)のころに水内地方に移されたと考えるべきであろう」とあり。
〇「薬王寺」について
・『辰野町誌 歴史編』
「建久3(1192)年鎌倉右大将源頼朝の開基といわれる」
「本尊薬師如来坐像」は「平安時代末の作と推定」されている
〇「明科廃寺」について
・『明科町史第1巻』に、年代についての言及は確認できず。参考文献をあたる
・「長野県東筑摩郡明科町明科廃寺址について」『信濃』3次7-7を確認するも、
「この廃寺の存在の実年代を確定し得る文献は全くなく、」p.61と記述を確認。
・なお、遺跡近隣の龍門寺の記録には元禄元年の絵図や明治初年まで池があったことなどが伝えられているが、他に有力な記録がないことからも、
「室町時代の末頃にはすでに廃寺となつてい(原文ママ)たのではないかと思われる」とあり。
・『明科廃寺址―個人住宅建替えに伴う緊急発掘調査報告書―』【前掲】
出土した須恵器(土器)は7世紀後半が最も古い時期のものであることから、明科廃寺の創建時期を「7世紀の後半、それも3四半世紀であろうと推定される」と結論付けている。(→西暦に直すと650-675年となる)
6.「全国遺跡報告総覧」(奈良文化財研究所)【最終確認2020.5.13】で、該当寺院に関連する遺跡の報告を探す。
- 事前調査事項
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インターネットで寺のホームページなどを見たとのことだが、詳細は確認できず。
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 10版)
- 参考資料
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信濃毎日新聞社開発局出版部 編 , 信濃毎日新聞社. 長野県百科事典 補訂版. 信濃毎日新聞社, 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001525555-00 -
全国寺院大鑑編纂委員会 編. 市町村区分による全国寺院大鑑 上巻. 法蔵館, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002144753-00 -
探訪・信州の古寺 第1巻 (天台宗・真言宗). 郷土出版社, 1996.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002541218-00 , ISBN 4876633231 -
座光寺村史編纂委員会 編. 座光寺村史. 座光寺村史刊行委員会, 1993.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002246930-00 -
長野市誌編さん委員会 編 , 長野市. 長野市誌 第2巻(歴史編 原始・古代・中世). 長野市, 2000.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002860661-00 -
辰野町誌編纂専門委員会 編纂 , 辰野町 (長野県). 辰野町誌 歴史編. 辰野町誌刊行委員会, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002079965-00 -
長野県/編 , 長野県. 長野県史 考古資料編 全1巻(2) 主要遺跡(北・東信). 長野県史刊行会, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I013747106-00
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信濃毎日新聞社開発局出版部 編 , 信濃毎日新聞社. 長野県百科事典 補訂版. 信濃毎日新聞社, 1981.
- キーワード
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- 寺院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000282050