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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
熊本大学附属図書館 (3110045)管理番号
(Control number)
2017C003
事例作成日
(Creation date)
2018年01月19日登録日時
(Registration date)
2018年01月19日 15時47分更新日時
(Last update)
2018年01月19日 15時48分
質問
(Question)
天皇陛下退位後の仮住まい先は高輪皇族邸であることが報道されています。この皇族邸は、江戸時代には熊本藩の江戸屋敷であったことは知っておりますが、資料によって下屋敷であったり、中屋敷であったりします。下屋敷とする資料が圧倒的に多いです。どちらが正しいか教えて下さい。
回答
(Answer)
以下の資料を調査した結果、当初は下屋敷であったが江戸の後期には中屋敷となっているようである。
だが、いつ頃どのような経緯で中屋敷となったかについては、今回の調査では特定できなかった。


資料名:肥後文献叢書 第1巻
形 態:図書
著者名:武藤嚴男, 宇野東風, 古城貞吉編
出版社:隆文館
出版年:1910年

【詳細】
181ページに熊本藩江戸屋敷に関する記述あり。正保元(1644)年に白金の地を増上寺南
にあった下屋敷の代地として拝領し、正保三(1646)年に転居したと記されている。

なお、同資料はWeb上で一般公開されている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766732 (国立国会図書館デジタルコレクション)


資料名:肥後藩における江戸時代中期の武家屋敷と茶道方について
形 態:論文
掲載誌:日本建築学会論文報告集
著者名:北野隆
出版年:1973年

【詳細】
2ページ(※雑誌のつづり上ページ数では74ページ目)から「白金屋敷」に関する記述
あり。①同様に、正保元(1644)年に芝下屋敷の代地として拝領した、と記されている。
一方、ここでは正保二(1645)年に建物が完成し光尚公が移徒したとなっている。その後、
延享二(1745)年に火災でこの白金下屋敷が焼失した、とあり。

なお、同資料はWeb上で一般公開されている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxx/210/0/210_KJ00003750106/_pdf/-char/ja
(J-STAGE)


資料名:重賢公逸話
形 態:図書
著者名:川口恭子
出版社:熊本日日新聞社
出版年:2008年

【詳細】
146ページに、細川治年公が天明五(1785)年に白金下屋敷から龍ノ口上屋敷に移徒され
た、と記されている。


資料名:江戸切絵図の世界
形 態:図書
出版社:新人物往来社
出版年:1998年

【詳細】
26~27ページに、嘉永三(1850)年の高輪辺絵図が掲載されており、絵図中に「中屋敷」
とあり。その他、以下の通り細川家下屋敷の掲載を確認。
・16~17ページ:安政六(1859)年の日本橋・両国・浜町絵図
・28~29ページ:嘉永七(1854)年の白金絵図 ※龍泉寺(目黒不動尊)近くに「細川越
中守下屋敷」あり。
・68~69ページ:嘉永五(1852)年の深川絵図
*すべて尾張屋板の切絵図を確認した


資料名:江戸切絵図集成 第2巻・第3巻
形 態:図書
著者名:斎藤直成
出版社:中央公論社
出版年:1981

【詳細】
第2巻100~101ページに、嘉永二(1849)年の高輪白金辺図が掲載されており、絵図中に
「細川越中守中屋敷」とあり。また、第2巻112~113ページに、安政三(1856)年の高輪
白金周辺絵図が掲載されており、絵図中に「細川越中守中屋敷」とあり。両者は別々の
絵図だが、屋敷は同じものである。その他、以下の通り細川家下屋敷の掲載を確認。
・第2巻74~75ページ及び86~87ページ:嘉永七(1854)年の日本橋・南京橋絵図及び本
八丁堀絵図 ※別々の絵図だが、屋敷は同じものである。
・第2巻118~119ページ:安政二(1855)年の品川・白金・目黒絵図 ※龍泉寺(目黒不
動尊)近くに「細川越中守下屋敷」あり。
・第3巻52~53ページ:嘉永四(1851)年の雑司が谷・音羽絵図 ※現在の「永青文庫」
所在地
・第3巻144~145ページ:嘉永三(1850)年の深川絵図
*すべて尾張屋板の切絵図を確認した

(最終アクセス日は全て2018年1月19日)
回答プロセス
(Answering process)
1.検索キーワード「高輪皇族邸」で下記データベースを検索するが、すべて検索結果0件であった。

①CiNii Ariticles ②NDL-Search ③Magazine Plus

2.ジャパンナレッジ上で検索キーワード「大名屋敷(=江戸屋敷)」で検索し、そもそも大名屋敷とは何か、について確認する。

   ①参勤交代によって江戸に参勤する大名に与えられた屋敷。初めは標準とか基
   準といったものはなく、幕府も屋敷地の下付(かふ)を申請した大名に対して任  
   意に屋敷地を与えた。ところが、1635年(寛永12)の改訂「武家諸法度(ぶけ
   しょはっと)」において、参勤交代が制度化し、諸大名の江戸屋敷の設置が一般
   化すると、計画的な屋敷割りが必要となり、しだいに屋敷地の再配置が行われる
   ようになった。
   "大名屋敷", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge,
    http://japanknowledge.com, (参照 2018-01-19)

   ②江戸時代、将軍から与えられた諸大名の江戸藩邸のこと。明暦の大火後は非
   常の際の備えとして中屋敷・下屋敷が与えられた。
   "だいみょう‐やしき【大名屋敷】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge,
    http://japanknowledge.com, (参照 2018-01-19)

3.熊本藩の江戸屋敷について記述された館内資料およびインターネット公開資料を調査し、有力な内容のものを質問者に紹介することとした。
回答中の資料以外に、今回紹介するには至らないとの判断を行ったが、下記資料についても調査を行い若干の関連する記述が発見できた。


資料名:肥後学講座 : よく分かる!
形 態:図書
出版社:熊日出版
出版年:2006年

【詳細】
155ページからの第九回「元禄赤穂事件と熊本」中に、赤穂浪士を細川家芝下屋敷で受
け入れるよう公儀からの命があったと記述されている。当資料は当時行われた肥後学講
座の講演内容を基に加筆・修正が行われたものであるため、前述の公儀からの命、とい
う部分の出典が不明であったため、質問者への回答内容に加えなかった。ここでいう“芝
下屋敷”が、果たして代地を賜る前の『芝下屋敷』なのか、またはかつて存在した地名
の『芝白金』を指しているのかは判断できなかった。


資料名:新熊本市史 史料編第3巻 近世1
形 態:図書
出版社:熊本市
出版年:1993年

【詳細】
517ページに「表9 江戸にある藩邸」中で、熊本藩の江戸屋敷が坪数と共に一覧で掲
載されており、白金屋敷もその中で確認できる。だが、上屋敷・中屋敷・下屋敷の区別
については記載無し。


資料名:細川家文書による近世初期江戸屋敷の研究
形 態:論文
掲載誌:日本建築学会論文報告集
著者名:北野隆
出版年:1972年

【詳細】
熊本藩の江戸屋敷のうち「竜ノ口上屋敷」「細川三斎中屋敷」「芝下屋敷」についてそれ
ぞれ詳しく記述されている。すべて元和から寛永にかけての記述内容であり、白金下屋
敷についてはの記述は確認できなかった。

なお、同資料はWeb上で一般公開されている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxx/200/0/200_KJ00003901035/_pdf
(J-STAGE)


資料名:永青文庫による細川家(藩)の大名屋敷
出版年:2000年

【詳細】
第17回熊本大学附属図書館貴重資料展の出品目録。熊本藩の江戸屋敷に関する永青文庫
史料の紹介とその解説という内容となっている。

なお、同資料はWeb上で一般公開されている。
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/25737/1/kimokuroku-2000.pdf
(熊本大学学術リポジトリ)


*レファレンス協同データベースより参考にした事例*

(近畿大学中央図書館)
江戸の大名屋敷などがわかる地図を探している。
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000049821

(熊本大学附属図書館)
肥後熊本の「細川越中守の上屋敷」の屋敷図面と関連資料を探しています。現在の東京・丸の内周辺にあったようです。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000106610

(最終アクセス日は全て2018年1月19日)
事前調査事項
(Preliminary research)
1.「切絵図現代図で歩く江戸東京散歩」2002.10.10人文社発行の58頁では中屋敷となっている
2. 「江戸屋敷とその現況」で検索すると熊本藩の中屋敷は「坂本小・公園/高松宮邸」、下屋敷は「東陽町江東区役所」となっている。
3. 高輪皇族邸、高松宮、熊本藩などで検索すると、ほとんどすべて「下屋敷」
4. 「東京都文化財めぐり白金高輪散策コース」で検索すると…熊本藩細川家下屋敷(のち中屋敷)の記述がありました。これが正しいのであれば理由と時期を教えて頂きたい。
NDC
日本  (291 9版)
九州地方  (219 9版)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
熊本藩
江戸屋敷
大名屋敷
高輪皇族邸
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000228776解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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