レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年07月09日
- 登録日時
- 2022/03/18 11:02
- 更新日時
- 2022/03/18 11:09
- 管理番号
- 千県東-2021-0021
- 質問
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解決
高海親王について書かれた資料が読みたい。土気古城や大野東人、大網白里と縁がある人物。
- 回答
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菜の花ライブラリー(千葉県関係データベース)に簡略な説明あり(【資料1】『山武郡郷土誌』からの引用)。(http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000017-CHB49905)
高海親王【タカウミシンノウ】
神亀3年、鎮守府将軍大野東人土気城を築きし後、比処に来りて死す。一寺院を建つ。高海寺のいわれと伝う。
以下の資料を紹介した。
【資料1】『山武郡郷土誌』(千葉県山武郡教育会編輯 崙書房 1976)
p.366~367 「高海寺」の項目に土気古城及び高海親王に関する記載あり。
【資料2】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(角川書店 1984)
p.1291「かなやごう 金谷郷」の項目に高海親王についても数行記述あり。
【資料3】『山武地方誌』(山武郡町村会編 千秋社 1986)
p.645 高海寺について10行程度の記述があり、その中で高海親王についての記述もある。
【資料5】『房総の伝説』(平野馨編著 第一法規 1976)
p.92 「高海親王」の見出しで4行記述あり。
【資料6】『大網白里町史』(大網白里町史編さん委員会編集 大網白里町 1986)
p.1275 「高海寺跡石塔群」の見出しで、高海寺について高海親王ゆかりの寺として知られていることや、現在は廃寺であることなど、3行記述あり。
ADEAC 大網白里市/大網白里市デジタル博物館 大網白里市を知る 大網白里市の歴史
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1223905100/1223905100200010/ht400010
「土気金城と高海寺」の項目中に「また、大野東人の後を受けて赴任した高海親王はこの地で亡くなったため、親王を弔うために高海寺が金谷に造立されました。現在は高海寺は廃寺となっていますが、高海寺のあった場所は高海谷という地名が残されています。」との記述あり。
(インターネット最終アクセス:2022年1月28日)
- 回答プロセス
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当館の検索画面で全項目を指定して「高海親王」で検索したり、リサーチ・ナビを「高海親王」で検索したが、該当なし。
当館のホームページから千葉県関係データベース「菜の花ライブラリー」を「高海親王」で検索し、【資料1】を紹介。
Google booksを「高海親王」で検索し、【資料2】【資料3】を見つけた。同じくGoogle booksで見つけた【資料4】『民話・昔話集内容総覧』(日外アソシエーツ 2003)p.199左に「高海親王」の記載あり、そこから【資料5】を見つけた。
また、Googleを「高海親王」で検索したところ、ADEAC(アデアック)で公開されている大網白里市/大網白里市デジタル博物館で【資料6】、およびインターネット上の情報を見つけた。
なお、『房総叢書 第4巻 紀元二千六百年記念 史伝2』(紀元二千六百年記念房総叢書刊行会編輯 紀元二千六百年記念房総叢書刊行会 1941)
p.41~51 土気城双廃記
p.53~76 土気古城再興伝来記
を確認したが、高海親王については記述が無かった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『山武郡郷土誌』(千葉県山武郡教育会編輯 崙書房 1976)(2100625303)
- 【資料2】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(角川書店 1984)(2100519919)
- 【資料3】『山武地方誌』(山武郡町村会編 千秋社 1986)(2100168340)
- 【資料4】『民話・昔話集内容総覧』(日外アソシエーツ 2003)(2101588868)
- 【資料5】『房総の伝説』(平野馨編著 第一法規 1976)(9200179948)
- 【資料6】『大網白里町史』(大網白里町史編さん委員会編集 大網白里町 1986)(2190008680)
- キーワード
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- 高海親王(タカウミシンノウ)
- 土気城(トケジョウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000313759