レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年11月25日
- 登録日時
- 2022/02/11 13:25
- 更新日時
- 2022/02/11 13:26
- 管理番号
- 0000002149
- 質問
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解決
武田信高という人物について調べている。『若狭武田氏』という本と『若狭武田氏と家臣団』という本があるが、『若狭武田氏』の33ページには、”「武田中将信高公」(中将はおそらく中務かその唐名中書の誤り)”という下りがある。ところが『若狭武田氏と家臣団』ではそのことに触れられていない。「中将」と「中務」のどちらが正しいのか調べてほしい。
- 回答
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『若狭武田氏』(木下聡∥編著 戎光祥出版 2016年)p33記載のご質問事項は、『若狭武田氏と家臣団』(河村昭一∥著 戎光祥出版 2021年)p150に関係する記載がありました。
ただし、過去帳にあるという記載について、『若狭武田氏』は”武田中将信高公”、『若狭武田氏と家臣団』は”武田中務信高公”となっています。
『若狭武田氏』の該当部分の出典をたどっていくと、過去帳を実際に検めたことを確認できた人物は2人(小高敏郎と永江秀雄)で、両者の論考(『近世初期文壇の研究』と「雄長老の出自について」)では、過去帳にある記載は”武田中将信高公”となっていました。
なお、永江秀雄の論考「雄長老の出自について」には、検めた過去帳が”一旦焼失後再修されたもの”であることや”信高について「号中務」としたものと「中将」と書いたものがある等、検討を要することも少なくない”などの記載もあります。
「中将」と「中務」のどちらが正しいのかは、これらの資料をもとにご判断ください。
- 回答プロセス
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(1)『若狭武田氏』と『若狭武田氏と家臣団』を確認。
『若狭武田氏』(木下聡∥編著 戎光祥出版 2016年)
p33該当箇所を確認し、出典として米原氏や小高氏、 伊藤氏の論考があることを確認。
『若狭武田氏と家臣団』(河村昭一∥著 戎光祥出版 2021年)
p150に質問事項の関連記載あり。過去帳には「武田中務信高公」とあると記載あり。
(2)出典である米原氏や小高氏、 伊藤氏の論考を確認。
米原正義「若狭武田氏と禅僧」(小浜市史紀要 第3輯,小浜市史編纂室,1972) (本論考は、後に『戦国武士と文芸の研究』所収)
p56に、”小高氏は竜泉寺過去帳などから英甫の父を信高とし、さらに信高は一時信重を名乗ったとされた。しかし過去帳によると「武田中務信高公」とあって官名が一致しない”や”中務をどう解釈したらよいであろうか”などとと記載あり。
『近世初期文壇の研究』(小高敏郎 著 明治書院 1964年 ※ただし当館未所蔵)
p95に永江氏とともに竜泉寺を訪れて過去帳を検めた記載あり、過去帳には「武田中将信高公」と記載あり。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1347209 ※図書館送信参加館内公開資料
伊藤東愼「狂歌師雄長老と若狹の五山禪僧」(禅文化研究所紀要 (3),禅文化研究所,1971 ※ただし当館未所蔵)
p84に”小高敏郎氏の現地調査によって、武田信高説が提唱された。若狭龍泉寺の過去帳などから同寺の開基である龍泉寺殿前司農蒲澗稜公大禅定門が武田信高であり、かれが英甫の父であるというのである。”とあり。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4414913/41 ※図書館送信参加館内公開資料
(3)『若狭武田氏』p33にも記載があり、小高氏とともに竜泉寺を訪れて過去帳を検めた永江氏の論考を確認。
永江秀雄「雄長老の出自について」(小浜市史紀要 第一輯,1970)(本論考は、後に『雄長老集 上巻(影印・論考篇)』所収 ※ただし当館未所蔵)
p54に小高氏とともに竜泉寺の過去帳を検めた記載あり、過去帳には「武田中将信高公」と記載あり。また同頁に”信高について「号中務」としたものと「中将」と書いたものがある等、検討を要することも少なくない”と記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000312047