レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年01月21日
- 登録日時
- 2022/01/21 17:30
- 更新日時
- 2023/10/31 17:08
- 管理番号
- 静岡郷土-40
- 質問
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解決
明治の初めに静岡学問所で教師を務めたアメリカ人エドワード・ウォーレン(またはワレン)・クラークが明治政府の中央集権的教育政策に抗議して提出した意見書について知りたい。
- 回答
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漢字とカタカナによって表記された「諸縣學校ヲ顧慮スルコトヲ勸ムル建議 一千八百七十二年九月 靜岡縣住 米國クラーク」という文書が複数見つかった。
・『静岡市史』第2巻 静岡市役所/編 名著出版 1973.8 (S222/4-2)
第八章第二節「明新館 学問所」(551-579p)のうちに記載(該当部分は569-574p)があった。
※北海道大学のウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826年7月31日 - 1886年3月9日)とは別人。
追記:『エドワード・ウォレン・クラークと明治の静岡 日本 アメリカ』に「地方の学校を支援するよう勧める提言」について記載がある。(2023.10.31)
- 回答プロセス
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1.エドワード・ウォーレン・クラーク(または、エドワード・ワレン・クラーク)の著作や評伝等を確認
2.静岡学問所の資料から、エドワード・ウォーレン・クラークに関する記述を確認
3.県史編さん資料等からエドワード・ウォーレン・クラークに関する記載箇所を確認
追記資料について:質問事項に関する内容が記載されていると後日情報提供があったため、追記する。
また、事前調査事項に書かれているテレビ番組に関連する情報として、追記資料12pに、1991年4月に放映された『知られざる明治・もう一人のクラーク先生』テレビ静岡/制作のドキュメンタリー番組との記載が確認できる。
- 事前調査事項
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利用者が「10年くらい前にテレビでみた、静岡にいたクラーク先生について、知りたくなった」とのこと。放映テレビ局や番組名は不明。
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 中部地方 (215)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 『静岡市史』 第2巻 静岡市役所/編 名著出版 (569-574p)
- 『日本滞在記』 E・W・クラーク/著 講談社
- 『富士山に登った外国人』 山本 秀峰/編・訳 露蘭堂
- 『幾何学原礎』 1 格拉克 広瀬市蔵
- 『Katz Awa, "the Bismarck of Japan" ; or, The story of a noble life 』Warren Clark E. B.F.Buck New York
- 『静岡学問所』 樋口 雄彦/著 静岡新聞社
- 『明治初期の静岡』 曽根 辰雄/[著] [曽根辰雄]
- 『E.W.Clarkと「幾何学原礎」』 竹中 昭/〔著〕 〔竹中昭〕
- 『明治の文明開化のさきがけ』 山下 太郎/著 北樹出版 (77-80p「外人教授クラークとその後のフランス学者の運命」)
- 『エドワード・ウォレン・クラークと明治の静岡 日本 アメリカ』E.W.クラーク顕彰事業実行委員会/編集 (21p「地方の学校を支援するよう勧める提言」について記載あり)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000311026