レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年08月04日
- 登録日時
- 2022/01/29 11:20
- 更新日時
- 2022/01/29 11:20
- 管理番号
- 0000002182
- 質問
-
解決
「国吉籠城記」の永禄6年(1563)に佐柿国吉城に籠城した武士『佐田村 麻生紀伊守』という人物について教えてほしい。
また、その麻生紀伊守に養育され、のちに栗屋越中守に仕えたとされる麻生半右衛門(沢田但馬)、その嫡子麻生作兵衛(沢田平大夫)についてわかることがあったら教えてほしい。
- 回答
-
お探しの人物は「国吉籠城記」の注釈等、下記3冊に記載されていました。
『わかさ美浜町誌 美浜の文化 第8巻』 ※元禄本「若州三潟郡佐柿国吉城合戦記」の注釈
・・・p59-60「麻生に半右衛門」 "伝未詳。後に「浜勝」と諱(いみな)を載せる。小乙本「麻生半兵衛」。麻生集落の、ではなくやはり新庄の地侍であろう。"
・・・p60「麻生紀伊守」 "伝未詳。小乙本「麻生に沼田三郎兵衛麻生紀伊守」と誤る。他本では山東十郎らと関山に旗百本を立てる役を果たす。"
・・・p136「澤田平大夫」 "藤堂氏譜代の家臣。江戸期は1500石高の禄高であった。なぜ澤田氏が粟屋助大夫の仕官の斡旋をしたのかはわからないが、大坂での親しい付き合いがあったことによるのかもしれない。(略)"
『若州三潟郡佐柿国吉篭城記』
・・・p45「麻生半右衛門」、p48「麻生紀伊守」 どちらも"伝未詳。"
・・・p86「沢田平太夫」 "津市役所蔵「津城及其附近之図」(江戸初期の筆)には、藤堂藩家臣の居住区画が載せられているが、外堀西南隅に「沢田平太夫」の名が、可成広い屋敷とともに発見せられる。沢田氏は藤堂家の譜代の家臣であったのだろう。(略)"
『角川日本地名大辞典 18 (福井県)』
・・・p536「佐田村」 "「国吉籠城記」は永禄 6 年に佐柿国吉城に籠城した武士のうちに佐田村の山東十郎・麻生紀伊守・田辺半太夫を挙げている。"
・・・p648「新庄村」 "「国吉籠城記」は永禄 6 年に佐柿国吉城に籠城した新庄村の武士として山本豊後・沼田太郎左衛門・麻生半右衛門・長沢右馬丞を挙げている。"
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 北陸地方 (214 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000311371