レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年03月02日
- 登録日時
- 2021/06/15 16:58
- 更新日時
- 2021/06/17 11:06
- 管理番号
- 0000002008
- 質問
-
解決
没年が知りたい。
(1)三輪信一(みわ・しんいち)(1906年生まれ)
鯖江市河和田村生まれの彫刻家・画家かつ実業家。雨田光平の歌集『自我の採点』[私家版・昭和51年7月1日発行]を編集した。『鯖江今昔』[鯖江今昔刊行会・昭和56年7月20日発行]がある。
(2)白崎天馨(しらさき・てんこう/白崎金次郎)(1912年生まれ)
大野市大野町生まれの木彫作家・水墨画家。雨田光平から彫塑の指導を受けていた。
(3)辻森秀英(つじもり・しゅうえい)(1907年生まれ)
福井市生まれで鯖江市在住の歌人・国文学者。橘曙覧の研究者であり、「百日紅」を主宰していた。のちに福井県文化賞、勲五等双光旭日章を受賞。光平とは、昭和26年12月1日、「福井県邦楽連盟」(会長は福井県文化協議会委員長の野上実)が結成され、辻森秀英とともに副会長に選出されて以来の知り合いである。
(4)藤田貞造(ふじた・ていぞう)(1884年生まれ)
『福井新聞』の記者。村雨(そんう)と号し、明治44年以来、文芸社中「落日社」(福井市港上町79番地)を主宰し、また、大正2年には文芸誌『こころみ』を創刊していた。彼には『紫銀杏』[教育と自治編集部(福井)・大正11年7月1日発行]という小説があり、大正10年頃、京都から演奏のために来福した那智俊宣を実物大で登場させている。
- 回答
-
(1)三輪信一は、1982年6月5日に死去した。
「福井新聞」1982年(昭和57)6月6日21面に死亡記事あり。
(2)白崎天馨の没年は不明。
『美術名鑑 1999年版』(美術名鑑編集部∥編 美術公論社 1999年)p484に記載あるが、2000年版以降には記載無し。ただし、物故者ページにも記載無し。
(3)辻森秀英は、1997年1月12日に死去した。
「福井新聞」1997年(平成9)01月14日19面に死亡記事あり。
(4)藤田貞造は、1948(昭和23)年12月18日に死去した。
『福井を伝えて一世紀』(福井新聞社社史編纂委員会∥編 福井新聞社 2000年)p75に記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000300323