レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年09月19日
- 登録日時
- 2021/02/09 15:41
- 更新日時
- 2021/02/09 15:43
- 管理番号
- 0000001880
- 質問
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解決
笠原白翁が京都から痘苗を持ち帰った際、種痘を受けた子どものなかに渡辺洪基がいたと聞いた。典拠となる文献が知りたい。
- 回答
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『渡邉洪基』(瀧井一博∥著 ミネルヴァ書房 2016年)p7
・・・「牛痘を受ける」という節において、「今庄に連れて来られた三人の子供のうちの一人が、当時まだ孝一郎と名乗っていた渡邉洪基だったということになっている」とし、参考文献に以下の2冊を挙げている。
『武生市史 概説篇』(武生市史編纂委員会∥編 武生市 1976年)p302~303
・・・「渡辺静庵らは、直ちに平吹屋庄三郎宅(現橘町 青木庄左衛門宅)に私設種痘場を設け、静庵の子富江・孝一郎(後の渡辺洪基)、熊谷某の三児に接種した。これが本県での種痘第一号である」とあるが、今庄に出向いて接種を受けたとは書かれていない。
『 夢』(渡辺進∥著 渡辺進 1973年)p28
・・・『武生郷友会誌』49号所載「渡辺洪基小伝」(渡辺信四郎著)を再録し、「武生に於ては青木庄三郎宅を以て種痘場とし、始めて種痘を接したるは静庵が一女一男(富江、洪基)及熊谷某の子なりし。当時種痘に就き妄説ありて他人の児を以て試むる能はず。幸に二児ありしを以て之に供せしなり」とあるが、やはり今庄に出向いたとは書かれていない。同書の出典は『越前人物志』とあり、ほぼ同一の内容が載る。(『越前人物志 中・下』(福田源三郎∥編 思文閣 1972年)p348)
なお、瀧井著『渡邉洪基』には、「渡辺洪基君幼時ノ話」(『武生郷友会誌』16号)も一部引用されているが、当館未所蔵につき内容は確認できなかった。
以上から、渡辺洪基が今庄に出向いて種痘を受けたとする文献は、瀧井著『渡邉洪基』しか確認できなかった。
そのほか、関連資料は次の通り。
『渡邉洪基伝』(文殊谷康之∥著 ルネッサンスブックス 2006年)p23
・・・「笠原良策は…天然痘苗を入手。雪の栃ノ木峠を越え、期限ぎりぎりのところを、府中の渡邉静庵の協力により人への「たねつぎ」を子供三人に実施した。場所は青木庄三郎宅で、このとき「たねつぎ」を受けたのが、静寿と一歳年長の姉富江と知人の子供だった」とあり、笠原の痘苗招来に関わったかのような記載はあるが、やはり場所は今庄ではなく、青木庄三郎宅としている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293648