レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年07月17日
- 登録日時
- 2020/10/13 17:54
- 更新日時
- 2021/02/09 15:31
- 管理番号
- 広県図2020058
- 質問
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解決
幕末の曹洞宗の僧侶,武田物外(たけだもつがい)について,
1 「孝明天皇の御前に伺候する。宮中文武館の扁額をも謹書した」とある。これに該当する書物があるか。
2 武田家の系譜が載る書物があるか。
3 江戸期,「伊予松山藩」と「備後尾道」に何らかの関係,関ケ原前と後の国替えなどが関係するか。
- 回答
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1 「孝明天皇の御前に伺候する。宮中文武館の扁額をも謹書した」とある。これに該当する書物があるか。
武田物外が宮中文武館の扁額を書いたことに関する記述は,次のとおりです。
『新修尾道市史 第2巻』青木茂/編著,尾道市役所,1972【H21.42/A53/2ア】
p.555-576 済法寺住職物外和尚
p.557-558 「皇室からは祈願のため、(略)勅諚大極殿文越武館大額の揮毫(きごう)、(略)など、田舎僧侶の分際(ぶんざい)としては、いささか分(ぶん)に過ぎた待遇をうけている。」
『九十扇雪爪題物外和尚逸傅』高田道見/著,仏教館,1911【H18.44/Mi24】
p.74-84 書画
p.75-76 「夫れや此れやの関係にて師は文武館の大額面を勅定に依て揮毫せられたことがある。」
p.76に文武館の額の略図が掲載されています。
2 武田家の系譜が載る書物があるか。
次の資料に掲載されています。
『九十扇雪爪題物外和尚逸傅』高田道見/著,仏教館,1911【H18.44/Mi24】(前出)
p.2-4 系統
p.3-4に系図があり,初代晴信(信玄)から物外までが書かれています。
なお,次の資料に武田信玄の系図がありますが,武田物外は掲載されていませんでした。
『寛政重修諸家譜 第3』新訂,続群書類従完成会,1980【N288.2/Ka59/3】
p.146-151 清和源氏 義光流 武田
p.150 晴信(信玄)
3 江戸期,「伊予松山藩」と「備後尾道」に何らかの関係,関ケ原前と後の国替えなどが関係するか。
次の資料を確認しましたが,伊予松山藩と備後尾道の関係に関する記述は見付かりませんでした。
『尾道市史 上巻・中巻・下巻』[尾道市役所/編],尾道市役所,1939∼1940【H21.42/O67-2/1∼3】
『新修尾道市史 第1巻~第6巻』青木茂/編著,尾道市役所,1971∼1977【H21.42/A53/1ア∼6ア】
『松山市史 第2巻』松山市史編集委員会/編集,松山市役所,1993【218.3/92マ/2】
安土桃山から江戸にかけての領地替えの記述がありますが,大部な資料のため,通覧して確認することはできません。
『藩史大事典 第6巻 中国・四国編』木村礎/〔ほか〕編,雄山閣出版,1990【R210.5/88ハ/6】
p.489-502 松山藩
p.489-490 藩の概観
このほか,次の資料に武田物外に関する記述がありましたので,参考までに御紹介します。
『尾道市史 中巻』[尾道市役所/編],尾道市役所,1940【H21.42/O67-2/2】
p.790-791 拳骨和尚
『御調郡誌』御調郡教育会/編纂,臨川書店,1985(御調郡教育会 大正14年刊の復刻)【H291.44/Mi64aア】
p.357-360 僧物外
『図説尾道・三原・因島の歴史』土井作治/監修,蔵橋純海夫/[ほか]編集委員,郷土出版社,2001【H21/トイサ100/4ア】
p.158-159 「拳骨和尚」の武勇 済法寺の物外不遷
『景観とお寺と文学の町散策:やすらぎの尾道めぐり 尾道』山川旭/著,第3版,山川旭,2000【H291.42/ヤマア100ア】
p.194-196 俳人物外 天衣無縫、独自の世界を展開
『歴史ジャーナル』86号(2011年2月5日),尾道文化財研究所【雑誌】
p.8-11 「幕末の僧侶で文武両道の達人「武田物外」と不遷流武術」森田昌典
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 武田物外
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000288241