レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月29日
- 登録日時
- 2011/10/23 11:44
- 更新日時
- 2011/10/23 11:44
- 管理番号
- 9000007525
- 質問
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解決
赤穂浪士の討入りの時に大石内蔵助が頭に被っているものに書かれている巴の家紋はどこの家紋か知りたい。
- 回答
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大石内蔵助の被っている兜頭巾の家紋は、大石家の「右二つ巴」である。
- 回答プロセス
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1.『苗字から引く家紋の事典』(高澤等著 東京堂出版 2011年)の「オオイシ 大石」の項を見ると、「滋賀県大津市大石」に家紋は「右二つ巴」「左二つ巴」「右三つ巴」などの家紋があり「赤穂浅野家の家老大石内蔵助はこの家系という」とあるが、大石家の家紋がどれにあたるのかは確定できなかった。
2.討入りの時に大石内蔵助が着ていた服装について確認。自館システムで書名「忠臣蔵」「赤穂浪士」「赤穂義士」などを検索し、次の資料に討入り時の装束についての記述があった。
・『忠臣蔵:闇の真相(ローカスなるほどシリーズ 地理と歴史)』(岡本和明著 ローカス 2000年)→p152には、討入りの際の浪士達の装束について記述があるが、大石内蔵助の装束について特記された記述はみあたらなかった。p237の「四十七士人物ファイル」の「大石内蔵助良雄」の項に家紋は「右回り双ツ巴」とある。
・『忠臣蔵四十七義士全名鑑:これぞ武士道!!忠義に生きた元禄サムライ』(駿台曜曜社 1998年)→p12-13に大石内蔵助の装束がイラスト入りで描かれている。これによると大石内蔵助の討入り時の装束は「甲形火事頭巾甲革包、着込瑠璃紺緞子、籠手股引同」。また、家紋は「右二ツ巴」とある。
・「歴史読本」1999年2月号(新人物往来社)p92-95「武備の策:武具調達と討入り装束」の「大星由良之助肖像(歌川国貞画 歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の大星(大石内蔵助)を描いたもの)の説明文に「兜頭巾の錏(しころ)に見える二つ巴は大石家の家紋」とある。
3.大石家の家紋については次の資料にも記述があった。
「元禄忠臣蔵:実録・赤穂事件の全貌」(「別冊歴史読本」通巻88号(1998年10月 新人物往来社))→p154「赤穂浪士人物事典」の「大石内蔵助良雄(よしたか)」の項に「家紋は右廻り双ツ巴」とある。
- 事前調査事項
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・『日本家紋大事典』(丹羽基二著 新人物往来社 2008年)p520-530、『家紋の事典』(高澤等著 東京堂出版 2008年)p203-207、『日本家紋総鑑』(千鹿野茂著 角川書店 1993年)p708-709それぞれの「巴(ともえ)」の項を見るが、参考となる記述はなかった。
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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- 『忠臣蔵四十七義士全名鑑:これぞ武士道!!忠義に生きた元禄サムライ』(駿台曜曜社 1998年) (p12-13)
- 「別冊歴史読本」通巻88号(1998年10月 新人物往来社) (p154)
- 『忠臣蔵:闇の真相(ローカスなるほどシリーズ 地理と歴史)』(岡本和明著 ローカス 2000年) (p152)
- 「歴史読本」1999年2月号(新人物往来社) (p92)
- キーワード
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- 大石内蔵助
- 大石良雄
- 家紋
- 大石家
- 赤穂藩士
- 忠臣蔵
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- ・『忠臣蔵:闇の真相(ローカスなるほどシリーズ 地理と歴史)』(岡本和明著 ローカス 2000年)→p152によると、討入りの際の浪士達の装束は、「映画やテレビでは火消し装束に鉢巻き、着物の前に「播州赤穂浪士」、各自の名前を書いた布を縫い付けている。また、歌舞伎では、袖口にかんぎ模様(白と黒のギザギザ模様)がついているが、これはどちらも嘘」とある。実際には着物は自前で、頭巾をしてその下に鉢金を被っていた。また、着物の下には鎖帷子を着て、小手や脛には金具を、帯の下には鎖を入れ、下着は「もっこふんどし」(首から吊す褌)をしていた。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 伝記・人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000093610