レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 福井県立若狭図書学習センター (2110046) | 管理番号 (Control number) | 福若-2010-0206 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
事例作成日 (Creation date) | 2010年02月10日 | 登録日時 (Registration date) | 2010年03月03日 16時45分 | 更新日時 (Last update) | 2010年03月03日 16時45分 | |||
質問 (Question) | 作家・澁澤龍彦が若狭を旅した時の紀行文を知りたい。 | |||||||
回答 (Answer) | 澁澤龍彦は1977年に若狭地方を旅しており、若狭神宮寺や鵜の瀬を訪れている。同年に書かれた「城」および 1985年に書かれた「水と火の行法」にそのエピソードが記されている。 | |||||||
回答プロセス (Answering process) | ① 以前開催した企画展パンフレット中にあった記憶あり → 下の資料を確認する。 ・「若狭路を旅した人々」展 福井県立若狭図書学習センター編 2004 (H296/フクイ) :「そのほかの旅人たち」p19中に「澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』より「水と火の行法」(1990)…鵜の瀬」の記載がある。 ⇒ これとは別の作品、とのこと。 ② 近刊で澁澤龍彦の古寺紀行的な本の中に、若狭に関する部分があった記憶あり。 ・『澁澤龍彦の古寺巡礼』澁澤龍彦著 平凡社 2006 (185.9/シフサ) :「東大寺お水取りと若狭の寺」p128~136。若狭の紀行文「水と火の行法」と「城」(いずれも一部分)を紹介している。 また、p156~157の「旅の記録」には、1977年4月20日「美方(ママ)五湖。明通寺。小浜泊。」21日「万徳寺。若狭姫神社。 若狭彦神社。神宮寺。鵜の瀬。妙楽寺。円照寺。」の記載がある。 ③ 「水と火の行法」「城」は『澁澤龍彦全集』河出書房新社 1993-95 に所収されている。両作品の解題等より以下の書誌事項がわかる。 ・「城」:『全集』17巻p451~457(若狭関係部分),解題はp510~513。初出は雑誌「新劇」1977.10~12月号。 『城-夢想と現実のモニュメント』白水社 1981 刊行。「今年四月、妻と一緒に若狭から丹後地方を車で旅行した」として、 若狭神宮寺と鵜の瀬のエピソードを記述している。 ・「水と火の行法」:『全集』22巻p314~318,解題はp603~604。初出は『東大寺お水取り』小学館 1985。『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』 立風書房 1990 刊行。「いまから七年前」の若狭神宮寺と鵜の瀬の来訪にふれた内容。 ④ 『澁澤龍彦全集』別巻2 の「澁澤龍彦年譜」1977(昭和52年)に、以下の記載がある。 →「4月19日-23日、京都へ。龍子夫人の運転するレンタカーで、若狭の小浜から丹後半島を一周する。」 *なお、『澁澤龍彦の古寺巡礼』p129には「火と水の行法」と表記してあるが、上述のように「水と火の行法」が正しい。 また、単行本『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』巻末の「初出一覧」には「水と火の行法」初出の『東大寺お水取り』を 「1975年刊行」としているが、上述のように「1985年刊行」が正しい(『全集』22巻の解題p604にも同じ指摘あり)。 | |||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | かなり以前に刊行された著作単行本(短いタイトルだったとも思う)の中に、入っていた。 | |||||||
NDC |
| |||||||
参考資料 (Reference materials) | ||||||||
キーワード (Keywords) |
| |||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||
備考 (Notes) | ||||||||
調査種別 (Type of search) | 書誌的事項調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||
登録番号 (Registration number) | 1000064321 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |