レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 大阪市立中央図書館 (2210006) | 管理番号 (Control number) | 3A15002807 | |||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2015年04月23日 | 登録日時 (Registration date) | 2015年12月25日 15時20分 | 更新日時 (Last update) | 2016年12月05日 00時30分 | |||||||||||
質問 (Question) | 暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)ができた時期を知りたい。 初代神武天皇が通った神路としてその当時からあった、奈良時代にシルクロードの終点として整備された、4~500年前に開けた街道などいろいろな記載がある。 | |||||||||||||||
回答 (Answer) | 「暗越奈良街道」ができた時期を明確に特定する記述のある資料はみつかりませんでした。 ご参考までに、できた時期についての記述が確認できた資料を以下にご紹介しました。 ・図書 『大阪の街道(大阪文庫 10)』(神野清秀/著 松籟社,1989.9) p.167「21 暗越奈良街道」の項に、「道自体は古代から存在したものと考えられる」とあります。 『道しるべ・大阪 : 旧街道をめぐって 南大阪編』 (大阪府商工部国際交流課, 1982) p.118「奈良街道をめぐって」の項に、「大阪の高麗橋を起点にして、河内を横切り、大和の国へ抜けるのが奈良街道である。大阪・大和を結ぶ最短コースで、このため直越ともよばれた。(中略)古代は日下山を越える「日下の直越」が万葉集などにみられる。」とあります。 『東成区史』(大阪都市協会/編集 東成区制七十周年記念事業実行委員会, 1996.10) p.284「街道の顕彰」の項に、「暗越奈良街道の来歴碑が建立され」とあり、来歴碑文が次のように紹介されています。 「(略)古代に開かれた平城京への道は、一部この街道と重なるといわれている。近世になって、豊臣秀吉の天下統一と、弟、秀長の郡山城での大和支配など奈良との関係で重視された。」 『大阪府史 第2巻』(大阪府史編集専門委員会/編集 大阪府, 1990) p.780 「八世紀に入って(中略)平城京へ遷都されると、(中略)生駒越えの道路が開発され(『万葉集』巻十五-三五八九・三五九〇、近世の暗街道にあたるのではないかと考えられるが、(中略)正確なルートは不詳である)…」とあります。 『暗越奈良街道サミット : 街道を守り立て、活動を繋ぐ 第3回』 (暗越奈良街道クラブ 奈良まちづくりセンター, 2010.10) p.1「「暗越奈良街道」は、古代から奈良と大坂を結ぶ最短の八里八町の官道(約34km)でした。奈良時代前から存在したようですが、いにしえの平城京内で三条大路とつながり遣唐使や行基菩薩などの万葉びとが往来しました。」とあります。 『東高野街道 生駒山西麓編』(杉山 三記雄/著 読書館, 2013.11) p.47「暗越奈良街道は、大坂奈良間を8里8町の最短距離で結び、古代以来の古道の一つ。奈良街道は、江戸時代、脇往還で大和、伊勢をつなぐ道として旅客貨物の運送、伊勢まいりで賑わっていた。」とあります。 『私たちのふるさとと学校 : 神路小学校創立百周年記念誌』 (大阪市立神路小学校/編集 大阪市立神路小学校創立百周年記念事業委員会, 1982.2) p.38「暗越奈良街道考証」の項に、「暗越は万葉のころにできたのではない。それは北河内に茨田堤がつくられたのち、まもなく、大和と上町台地をつなぐ直線交通路として、これができたと思われる。(後略)(山本博・竜田越)」とあります。 『ひがしなり : みつめよう我がふるさと』 (大阪市東成区役所企画総務課広聴企画係/編集 大阪市東成区役所企画総務課広聴企画係, 2000.3) p.47-50「暗越奈良街道にそって」の項、p.47に、「暗越奈良街道は、いつ頃から開けた道か詳しくはわかりませんが、およそ4-500年前から、摂津・河内・大和の村落を結ぶ重要な道として既に開発されていたことが大坂冬の陣の各大名軍団配置図によってもそれを知ることができます。」とあります。 ・商用データベース「JapanKnowledge(ジャパンナレッジ)(事典・辞書等)」 『日本歴史地名大系』「暗峠(くらがりとうげ)」の項に、 「難波・大坂から枚岡(ひらおか)(現東大阪市)を経て峠を越え奈良に至る道を暗越大坂街道といい、平城京を中心として発達した道で」とあります。 『日本歴史地名大系』「奈良街道(暗峠越)」の項に、 「古代では「古事記」雄略天皇段や「万葉集」巻六の一首に日下の直越(くさかのただごえ)道のことがみえ、「古事記伝」以来それを暗峠越にあてる説があるが、「古事記」や「万葉集」では峠道から河内の平野や難波の海が展望できるように叙述されているのに、暗峠からはそれらは観望しがたいとして反対する説もある。」とあります。 また、大阪市のホームページに、暗越奈良街道についての掲載が確認できましたのでご紹介しました。 「大阪あそ歩 二軒茶屋から暗越奈良街道周辺を歩く」 ( https://www.oml.city.osaka.lg.jp/?action=common_download_main&upload_id=3327) (2016.9.25確認) 「古代から大坂と奈良を結ぶ主要街道だった」とあります。 「コラム1 暗越奈良街道・奈良街道・俊徳街道・中高野街道」 ( http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009243.html) (2016.9.25確認) 「現在残る暗越奈良街道は、直越道と一部重なるものと考えられている。そして江戸時代から伊勢参宮道としても賑わった」とあります。 | |||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1.大阪市立図書館ホームページ:おおさか資料室:東成区に関するよくある質問と回答「暗越(くらがりごえ)奈良街道について知りたい」( http://web.oml.city.osaka.lg.jp/net/osaka/osaka_faq/63faq.html#63-200703-001 )(2016.9.25確認) の参考文献を確認。資料1、2が見つかる。 2.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をキーワード“暗越奈良街道”で検索、ヒットした資料を確認。資料3、4が見つかる。 3.大阪文献データベース( http://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp )をキーワード”暗越奈良街道”で検索、ヒットした資料を確認。 4.当館所蔵資料をフリーワード“暗越奈良街道”で検索、資料5、6が見つかる。 5.国立国会図書館サーチ( http://iss.ndl.go.jp/ )をキーワード“暗越奈良街道”で検索、ヒットした資料を確認、資料7が見つかる。 6.神路小学校の学校史等を確認、資料8が見つかる。 7.商用データベース「JapanKnowledge」をキーワード”暗越奈良街道” で全文検索。資料9を確認。 8.大阪市ホームページ内を”暗越奈良街道”でキーワード検索 資料10、11が見つかる。 9.商用データベース「CiNii Articles」をキーワード“暗越奈良街道”で検索。目ぼしいものなし。 10.商用データベース「magazineplus」でキーワード“暗越奈良街道”で検索、ヒットした資料を確認。 11.大阪市立中央図書館大阪コーナーの請求記号682の書架を確認。 | |||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000186221 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |