レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年2月8日
- 登録日時
- 2019/08/12 11:59
- 更新日時
- 2020/01/07 16:15
- 管理番号
- 島根郷2018-02-002
- 質問
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解決
松江藩7代目藩主・松平治郷が援助したという清元延寿太夫と、治郷が作詞したといわれる「出雲梅」について知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:p305-306「清元延寿太夫(きよもと-えんじゅだゆう)」の二世延寿太夫について該当する記述あり。1802-1855。本名岡村藤兵衛。初世延寿太夫の実子で、文化13年(1816)に松江藩主の松平不昧公の御前で元服し、栄寿(えいじゅ)太夫という名を与えられた。文政10年(1827)に二世を襲名。
資料2:p105-108「海苔の羽織」。冒頭に「浄瑠璃の清元に『出雲梅』という曲があって、出雲の名所や名物が『かけ言葉』で歌い込まれている」とあり。不昧公(松平治郷)は初代清元延寿太夫が富本節から独立して清元の一流を立てたときに大いに後援し、延寿太夫のためにこの「出雲梅」の歌詞を新作して与えたとする。また、初代延寿太夫が何者かに殺されてしまうと不昧は大いに同情し、その子・己三次郎(きさじろう)が15歳の時に自分の前で元服させて延寿太夫の名を継がせ、「蝉桐」の紋を賜ったとする。文中に「出雲梅」の歌詞あり。
資料3:p74-86「清元と雲州侯」。うちp80-81に清元延寿太夫についての記述あり。富本延寿の門人であった岡村吉五郎は稀代の美声であった。文化9年に豊後路晴海太夫の名で「中村座」に出演し、2年後の文化11年に「清元」節と称え芸名も延寿太夫に改めて「市村座」で旗揚興業したが、これの後援者が「雲州老侯松平不昧だったという」とする。またp83-84に「出雲梅」の歌詞を載せ、p84-86「清元と雲州侯年表」あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 邦楽 (768 8版)
- 中国地方 (217 8版)
- 参考資料
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【資料1】邦楽百科辞典 : 雅楽から民謡まで. 音楽之友社, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001708035-00 , ISBN 4276000904 (当館請求記号 R768/45 ※貸出禁止資料) -
【資料2】木幡吹月 著 , 木幡吹月. 鬼の念佛 続々. 山陰中央新報社, 1983.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069322912-00 (当館請求記号 郷貸出Eコ/4/) -
【資料3】安部鶴造 著 , 安部鶴造. 郷土誌出雲. 今井書店, 1973. (山陰文化シリーズ 43)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069348526-00 (当館請求記号 郷貸出081/134/43)
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【資料1】邦楽百科辞典 : 雅楽から民謡まで. 音楽之友社, 1984.
- キーワード
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- 浄瑠璃
- 清元節
- 松江藩
- 松平治郷
- 出雲梅
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000260110