レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/11/28
- 登録日時
- 2019/12/26 00:30
- 更新日時
- 2019/12/26 00:30
- 管理番号
- 滋2019-0032
- 質問
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解決
『日本史諸家系図人名辞典』という本にある近江滋賀県の戦国大名浅井氏の内容について、「正親町三条実雅の公綱が北近江守護京極氏につかえて浅井氏を名乗ったと言われるが信じがたい。」、さらに、「実際は古代浅井郡の郡司層の後裔が武士化し室町時代に京極氏に被官化されたとかんがえる。」とあります。 浅井氏出自について、教えてほしい。
また、浅井長政の嫡子といわれる浅井帯刀についても知りたい。
- 回答
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1.浅井氏出自について、
これについて、『日本史諸家系図人名辞典』にある「三条公綱落胤説」のほかに「物部守屋後裔説」があります。
「三条公綱落胤説」は、『続群書類従』の系図部にある三条公綱から長政までの「浅井系図」に由来します。この説について、『浅井氏三代』には「公綱は、京都正親町三条実雅の長子で、嘉吉年間(1441~44)に「勅勘」(天皇からの咎め・勘気)により近江の守護京極氏に預けられ、その所領であった浅井郡丁野郷で土地の娘との間に一子をもうけた。公綱は間もなく赦されて京にかえったが、その子重政は、京極氏に仕え、浅井氏を名乗ったという。」と内容が紹介されています。
「物部守屋後裔説」は、6世紀後半の大連「物部守屋」の後裔であるという説です。これは、『柳営婦女傳系』の「崇源院殿之傳系」にある敏達天皇の皇子、守屋太子から浅井長政までの系図によります。崇源院は長政の三女で、江として知られています。『柳営婦女傳系』は浅井氏の出自を、新井筑前守の話として「或人云、江州浅井氏は物部姓なり」と伝えています。浅井氏の出自は、これら2つの説が伝承として現代に残っているようです。
『東浅井郡志』は「三条公綱落胤説」について、いくつかの史料を傍証として、①三条公綱薨去の年が違う。②三条家の知行所が違う。③三条公綱勅勘により左遷されたという事実はない、などとしてこの説を否定しています。
また、「物部守屋後裔説」も浅井亮政の生父、岳父の誤謬などを挙げながら否定し、この2説を「(前略)荒唐無稽にして、信を置くに足らず。」としています。そして、浅井氏の出自について、「(前略)確實なる系譜を傳へざれば、今日に於いて其の出自を明にせんことは、殆ど望む可からざることに屬す。」と記しています。
同様に、『戦国大名浅井氏と北近江』も「(前略)「三条公綱落胤説」とこの「物部守屋後裔説」は、いずれも『浅井三代記』に書き記されている「浅井備前守先祖の事」が根拠になっている。『浅井三代記』は、江戸時代・寛文12年(1672)に浄信寺の別当(僧官)「其阿遊山(遊山)」が記した小説・軍記物語の類である。つまり確実な資料の裏付けがあるものではない。」とこの2説の信ぴょう性を疑っています。
浅井氏の出自については、室町・戦国時代の北近江のことを記した『江北記』に京極氏の被官の中に「淺井。」(ママ)という名前があり、また、その他の史料から京極氏の家臣から出現してきたとする説が主流のようです。このことについて、『歩いて知る浅井氏の興亡』では、浅井氏の出自に触れていませんが、「(前略)京極氏家臣の中からは、浅井郡丁野(現在の東浅井郡湖北町丁野)出身の国人・浅井氏が台頭、その当主亮政は次第に家臣団中の盟主と目されるようになり、小谷城を本拠とし戦国大名化していった。(中略)浅井亮政・久政は、この京極高広を湖北の守護と認め「御屋形様」と呼び、その存在を尊重しつつ大名化を果たしていったのである。」としており、下記【回答資料】3、7~10もこのような論調です。
ご質問の『日本史諸家系図人名辞典』以降出版された浅井氏関係書籍では、従来からある説を紹介しており、浅井氏の出自についての新説、または新たに判明した事実についての記述はありませんでした。
2.浅井帯刀について
『浅井長政嫡子浅井帯刀秀政』は、長政の嫡子浅井帯刀が長政自刃後に近江を逃れて会津に至り、その後越後に移ったという説をとります。これは、『系図由緒書上帳』と『新編会津風土記』に「大白川新田村」の旧家として掲載された浅井彦九郎慶政の説明に因ります。
『系図由緒書上帳』は文化元年(1804年)に越後浅井家八代目当主の浅井彦九郎慶政が自家の系図を主君に提出したものです。『浅井長政嫡子浅井帯刀秀政』によると、この系図には「浅井備前守長政」の子として「浅井帯刀秀政」が記されており、また「父長政滅亡之後去干近江國 奥州横田ニ来 山ノ内仕越州魚沼郡藪神庄大白川村ニ住ス」あることから、浅井彦九郎慶政が浅井長政の子孫であるとことを示すものとしています。
あわせて、文化6年(1809年)に会津藩が作成した『新編会津風土記』には、浅井彦九郎慶政について「此村の庄屋なり、家系を按ずるに先祖は浅井帯刀秀政とて(後略)」と記されていることと、その他の史料も検証した結果、先の『系図由緒書上帳』とあわせて浅井帯刀は長政の子と結論づけています。
『浅井長政嫡子浅井帯刀秀政』は、浅井帯刀が越後に至った経緯を多くの史料を使って検証しています。
なお、【回答資料】3、5、7~10には浅井長政の子として帯刀秀政の名前は出てきません。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 8版)
- 参考資料
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- 1 日本史諸家系図人名辞典 小和田哲男∥編 菅原正子∥編 講談社 2003年 R-2881-オ p.65
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2 続群書類従 第6輯 下 系図部 塙保己一∥編纂 続群書類従完成会 1979年 2-0810-6 p.352~354 -
3 浅井氏三代 宮島敬一∥著 吉川弘文館 2008年 S-2860- 08 p.1~4 -
4 柳営婦女傳系 『柳営婦女伝叢』所収 国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879210 -
5 東浅井郡志 巻2 黒田惟信∥編 日本資料刊行会 1975年 5-2160-2 p.1~36 -
6 群書類従 21 塙保己一∥編纂 続群書類従完成会 1994年 S-3900- 94 p.74 -
7 戦国大名浅井(あざい)氏と北近江 長浜市長浜城歴史博物館∥企画・編集 長浜市長浜城歴史博物館 2008年 S-2860- 08 p.25~28 -
8 歩いて知る浅井(あざい)氏の興亡 長浜市長浜城歴史博物館∥編著 サンライズ出版 2008年 5-2461- 08 p.6~7 -
9 浅井長政のすべて 小和田哲男∥編 新人物往来社 2008年 S-2860- 08 p.30~41 -
10 近江浅井氏の研究 小和田哲男∥著 清文堂出版 2005年 S-2860- 05 p.3~15 -
11 浅井長政嫡子浅井帯刀秀政 浅井俊典∥著 ミヤオビパブリッシング 2017.9 S-2861- 17
- キーワード
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- 日本史諸家系図人名辞典
- 浅井氏
- 浅井帯刀
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000271606