レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年08月20日
- 登録日時
- 2020/09/04 16:16
- 更新日時
- 2020/10/07 11:22
- 管理番号
- 2020-25
- 質問
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未解決
『三好長慶 諸人之を仰ぐこと北斗泰山』天野忠幸/著(ミネルヴァ日本評伝選、2014年)のp237に、三好長慶が永禄8年に河野氏と交流をもったとあるが、それ以前に河野氏と三好氏が交流をもったことがあるか知りたい。
- 回答
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阿波の三好氏が東予の新居郡と宇摩郡を支配下に置いていたことは【資料1】【資料2】からわかるが、河野氏と三好氏の交流についての記述は見当たらなかった。
【資料1】p524
前述のように細川氏が東予二郡(新居・宇摩両郡)を支配領域としたのは、永徳元年(1381)以降である。以後戦国期まで細川氏が保有した。ただし、戦国期には、細川氏被官の三好氏、あるいは細川氏被官で室町期に新居郡代となった石川氏の子孫が実質的支配を行った。室町期、東予二郡は細川氏により伊予支配の橋頭堡としての役割りを果たしたのである。『予章記』に「新居郡ト宇摩郡ハ大半細川家衆也」とあり、『築山本』に「就中、新居・宇摩両郡ハ河野旧領たるといえども、大半細川の家人押領す」という記載もあるが、ほぼ事実を伝えたものであろう。ただ細川氏が東予二郡を押領したのではなく、幕府から正式に認められたのである。
【資料2】p106
「伊予の三好姓と『三好長門守秀吉』」(伊予三好会 三好恭治/著)より
東予の三好姓については阿波、讃岐の三好氏の研究で触れている可能性はあろうが管見では不詳である。
東予の内、讃岐・阿波に接する宇摩郡・新居郡以外は基本的には河野氏が守護職を掌握していたが、宇摩・新居郡は阿波三好氏の権勢が及んでいた。(略)東予と中予の三好姓との関連を確認することができない。
他に、【資料3】~【資料7】を調査したが、河野氏と三好氏の交流に関する記述は見当たらなかった。
- 回答プロセス
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まず、『愛媛県史』を確認した後、中世の研究書で河野氏および三好氏に関する記述を調査した。
- 事前調査事項
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『三好長慶 諸人之を仰ぐこと北斗泰山』の記述
(若狭屋)宗可はまた、三好長慶と伊予の河野通宣との外交でも仲介役となっている。
(略)
それまで外交関係がなかった三好氏と河野氏が交渉をはじめるにあたり、重臣同士の松永久秀と来島村上通康が書状を交わしたが、その仲介をおこなったのも、宗可であった。
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛県史 古代2・中世』愛媛県 昭和59年 <当館請求記号:K200-31>
- 【資料2】『戦国天下人 三好長慶を語る 三好長慶会20周年記念誌』三好長慶会 令和元年 <当館請求記号:289.1-ミナ-2019>
- 【資料3】『古代・中世伊予の人と地域』山内譲/編 関奉仕財団 平成22年 <当館請求記号:K204-ヤユ-2010>
- 【資料4】『論集 戦国大名と国衆18 伊予河野氏』山内治朋/編 岩田書院 平成27年 <当館請求記号:K204-ヤハ-2015>
- 【資料5】『中世河野氏権力の形成と展開』石野弥栄/著 戎光祥出版 平成27年 <当館請求記号:K204-イヤ-2015>
- 【資料6】『戦国三好一族』今谷明/著 新人物往来社 昭和60年 <当館請求記号:288.3-55>
- 【資料7】『論集 戦国大名と国衆10 阿波三好氏』天野忠幸・編 平成24年 <当館請求記号:218.1-ロン-2012>
- キーワード
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- 三好長慶
- 河野氏
- 三好氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000286729