レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/09/14
- 登録日時
- 2007/12/25 02:10
- 更新日時
- 2012/01/16 17:32
- 管理番号
- 10-2C-200709-02
- 質問
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解決
背水の陣の舞台となった河はどこか?
- 回答
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背水の陣の元になった「史記 淮陰侯伝(わいいんこうでん)」によると、漢(かん)の2年(紀元前205年)、漢の韓信(かんしん)が趙(ちょう)を討とうとして井脛口(せいけいこう)《河北(かほく)省井脛(せいけい)県の北》を出て河を背にして陣を布(し)き、趙の成安君(せいあんくん)《=陳余(ちんよ)》をテイ水(すい)のほとりで斬(き)ったとのこと。
井脛は、河北省西部、石家庄市の西部にあたる。
- 回答プロセス
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①商用データベース「ジャパンナレッジ」で“背水の陣”を検索。
「デジタル大辞泉」の“背水の陣”の項目によると、「史記 淮陰侯伝」の故事、漢の韓信による戦略であることがわかる。
②当館所蔵を、フリーワード“韓信”で検索
→「背水の陣 - 悲将韓信の生涯-」(岡本 好古著 新人物往来社 1995年)p201に「テイ水(すい)」とあり。
また、「井脛口(せいけいこう)」での戦いであることがわかる。
(テイは[シ氏]に似た漢字)
→「国士無双」(伴野朗・著)では、p197に「綿曼水」とあり。ただし小説作品。
③商用データベース「ジャパンナレッジ」の「東洋文庫全文検索」で“井脛口”・“背水の陣”で検索。
→「漢書食貨・地理・溝洫志」p15に「背水の陣を敷いた井脛口~中国の歴史地理を知るために~漢書の地理志」とあり。
ただし本文検索で、地理志の中で“井脛口”の出てくる箇所はなし。
④「史記」の記述を確認
「国訳漢文大成 経子史部 第15巻 史記列伝 上巻」に「淮陰候列伝」あり
p522-523に「井脛口(せいけいこう)」「テイ水(すい)」の記述あり。
④「井脛口(せいけいこう)」「テイ水(すい)」の位置を当館所蔵の下記資料で調査。
「精選 中国地名辞典」 p449 井脛 河北省西部とあり 歴史的な紹介もあるが背水の陣については記述なし。
下記では位置については記述見つからず。
「故事成句でたどる楽しい中国史」
「中国の歴史15 年表・歴史地図・索引」
「中国歴代人物綺談」
⑤当館所蔵の中国で発行された河北省の地図(一枚もの)を確認
井脛は石家庄市の西部にあり
2008.12追加調査
googleで、“淮陰侯伝”×背水の陣”ד井脛口”で検索。
Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト]【今週のことわざ】背水の陣(2008年 7月 21日) が見つかる。
「淮陰侯伝」の関連部分の訳文が紹介されていた中に下記記述があった。
「井脛口(せいけいこう)《河北(かほく)省井脛(せいけい)県の北》の隘路(あいろ)~」
「漢軍は挟み撃ちにして大いに破り、趙の成安君(せいあんくん)《=陳余(ちんよ)》をテイ水(すい)のほとりで斬(き)り~」
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国語 (820 9版)
- 参考資料
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商用データベース「ジャパンナレッジ」
「国訳漢文大成 経子史部 第15巻 史記列伝」(東洋文化協会 1955年 当館書誌ID:0070075314)
Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト]【今週のことわざ】背水の陣(2008年 7月 21日)
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商用データベース「ジャパンナレッジ」
- キーワード
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- 背水の陣
- 韓信
- 漢
- 史記
- 淮陰候列伝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000040532