レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年8月3日
- 登録日時
- 2022/06/05 14:08
- 更新日時
- 2022/06/26 09:18
- 管理番号
- 中央-1-0021536
- 質問
-
解決
戦国時代、甲斐の武田軍は騎馬軍団を組織していたと言われるが、どの様な軍団であったのか?騎馬の蹄鉄はどのようになっていたのか?
- 回答
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下記資料を紹介した。
●武田の騎馬軍団、騎馬隊について
(1)『馬の文化叢書 3 中世 馬と日本史2』網野善彦/編 馬事文化財団 1995年
(2)『鉄砲隊と騎馬軍団』鈴木真哉/著 洋泉社 2003年
(3)『戦国大名武田氏の権力と支配』平山優/編 丸島和洋/編 岩田書院 2008年
(4)『火縄銃・大筒・騎馬・鉄甲船の威力』桐野作人/著 新人物往来社 2010年
(5)『検証長篠合戦』平山優/著 吉川弘文館 2014年
(6)『敗者の日本史 9 長篠合戦と武田勝頼』関幸彦/企画編集委員 山本博文/企画編集委員 各巻著者:平山優/著 吉川弘文館 2014年
(7)『武田勝頼 試される戦国大名の「器量」』丸島和洋/著 平凡社 2017年
(8)『長篠合戦の史料学』金子拓/編 勉誠出版 2018年
(9)『長篠・設楽原合戦の真実 第2版』名和弓雄/著 雄山閣 2015年
(10)『徹底検証長篠・設楽原の戦い』小和田哲男/監修 小林芳春/編 吉川弘文館 2003年
(11)『「馬」が動かした日本史』 蒲池明弘/著 文藝春秋 2020年
●馬の蹄鉄について
(12)『日本大百科全書 16』 小学館 1987年
(13)『騎行・車行の歴史』加茂儀一/著 法政大学出版局 1980年
(14)『考古学が語る日本の近現代』小川望/編 小林克/編 両角まり/編 同成社 2007年
- 回答プロセス
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●武田の騎馬軍団、騎馬隊について
具体的な記述は少なく、騎馬軍団の存在の有無についての記述が多く見つかった。
(1)『馬の文化叢書 3 中世 馬と日本史2』網野善彦/編 馬事文化財団 1995年
p.255~276 「長篠合戦譚の虚実」 鈴木眞哉 著
p.259~264 「三、騎馬について」
(2)『鉄砲隊と騎馬軍団』鈴木真哉/著 洋泉社 2003年
p.71~126 「第三章 検証・「騎馬」戦術-武田騎馬隊の実像」
p.86~93 「【2】武田の「騎馬隊」は存在したのか?」
p.94~106 「【3】騎馬による〈密集突撃〉はありえたのか?」
(3)『戦国大名武田氏の権力と支配』平山優/編 丸島和洋/編 岩田書院 2008年
p.23~29 「2 武装規定」の項
"まず、武田氏といえば騎馬が著名であるが、近年は騎馬隊の存在を疑問視する意見が強い。"という文章から始まり、武田軍における騎馬の割合について、他の大名と比較しながら解説している。
(4)『火縄銃・大筒・騎馬・鉄甲船の威力』桐野作人/著 新人物往来社 2010年
p.141~166 「検証・武田騎馬軍団」
p.161~164 「蹄鉄と馬鎧」
"戦国時代には蹄鉄は存在しない。その代わり、蹄を保護するために藁の沓を履かせた。藁沓を着けているのは行軍中である。…(以下略)"とあり。
(5)『検証長篠合戦』平山優/著 吉川弘文館 2014年
p.138~185「武田氏の騎馬衆と両軍の陣城」
p.138 "東国戦国大名の軍隊研究は、この数年の間に関心が高まり、研究も格段に進んだ分野の一つである。とりわけ、騎馬武者とその集団である騎馬衆(「馬上衆」「馬之衆」)についても、その実在はほぼ確定されるに至っている。"という文章から始まり、武田氏の場合について、自著(6)の本でどのような点を指摘したかを述べている。
(6)『敗者の日本史 9 長篠合戦と武田勝頼』関幸彦/企画編集委員 山本博文/企画編集委員 各巻著者:平山優/著 吉川弘文館 2014年
上記(5)の本文中に記載があった本。
(7)『武田勝頼 試される戦国大名の「器量」』丸島和洋/著 平凡社 2017年
p.179~180「武田騎馬隊」対「鉄砲三段撃ち」
p.180 "「武田騎馬隊」はというと、太向義明氏などにより、この言葉は長篠合戦を論ずる際にしかみえないこと、…(中略)…、「武田騎馬隊」なるものは存在しないと指摘された。"と書かれている。
(8)『長篠合戦の史料学』金子拓/編 勉誠出版 2018年
p.26 "対する武田軍については、その部隊自体の追究、なかでも騎馬隊による突撃の内実とその要因など、合戦の部隊とその行動に関わる点で多くの追究が見られる。"とあり、注釈がついている。
p.68 p.26で紹介した部分の注釈に"武田騎馬隊の実態追究を視点とした研究として"上記(2)の本が紹介されている。また、(9)、(10)の研究書が記載されている。
(9)『長篠・設楽原合戦の真実 第2版』名和弓雄/著 雄山閣 2015年
上記(8)の本で紹介されている。p.12~16「武田騎馬軍団は空想の産物」
(10)『徹底検証長篠・設楽原の戦い』小和田哲男/監修 小林芳春/編 吉川弘文館 2003年
上記(8)の本で紹介されている。特に武田騎馬軍団や騎馬隊との記述は見つからず。
(11)『「馬」が動かした日本史』 蒲池明弘/著 文藝春秋 2020年
p.235 織田の鉄砲隊と武田の騎馬部隊のコントラストを描く一文として「信長公記」から"関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、…(以下略)"が引用されている。蹄鉄に関する記述は見つからず。
●馬の蹄鉄について
(12)『日本大百科全書 16』 小学館 1987年
p.69「蹄鉄」の項目
"…(中略)…日本では、蹄鉄は、安土桃山時代に渡来したポルトガル人や江戸時代のオランダ人を通して知られていた。しかし、江戸末期まで蹄鉄はほとんど用いられず、主として馬沓(馬草鞋)が用いられていた。馬沓は、藁のほかに、女性の髪毛、馬の尾の毛、クジラのひげ、シュロの皮などでも作られた"とあり。
(13)『騎行・車行の歴史』加茂儀一/著 法政大学出版局 1980年
上記(12)に参考資料として紹介されていた本。
p.189~257 「第4章 日本における騎行と車行の問題」
p.197 "…(中略)…、わが国の戦国時代における馬の盛んな利用も、ついに蹄鉄の発明にはいたらなかったのである。"とあり。
p.217にはそれが江戸時代まで続いたという記述あり。
(14)『考古学が語る日本の近現代』小川望/編 小林克/編 両角まり/編 同成社 2007年
p.217~219「(2)蹄鉄」
p.217 "わが国では、蹄鉄導入以前には藁沓、金沓などが護蹄用として使用された。蹄鉄が初めて伝えられたのは、十八世紀前半にオランダ人によって八代将軍徳川吉宗に納められたときであるとされる。しかし、この段階では日本には洋式の蹄鉄を製作できる技術者が存在していなかったため、広まることはなかった。一般的に蹄鉄が広まるのは明治時代以降であると考えられる。"とあり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 家畜.畜産動物.愛玩動物 (645 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 騎馬軍
- 騎馬隊
- 蹄鉄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000317026