レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/03/01
- 登録日時
- 2008/07/16 02:10
- 更新日時
- 2010/03/10 18:51
- 管理番号
- 10-3A-200803-10
- 質問
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解決
生野区の田島のレンズについて知りたい。
- 回答
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『生野郷土誌』(大阪市小学校教育研究会生野支部 )のp7~9に、「田島町レンズ家内工業の起源と発達についての」の項あり。
また、『生野区誌』(生野区役所)のp145~146の「レンズ」の項にも関連記述あり。
田島のレンズは、田島村の石田太次郎により、1857年(安政4年)に創業されたと記述があります。
1831年(天保2年)田島村の農家に生まれた石田太次郎は、幼いころ足に怪我をし、家業を手伝うことができなかったため、丹波の国に赴き、めがねの製造技術を習得、安政4年 田島村に帰り、村の人々にその技術を教えたとあります。
・『生野の民話』(堀井守三編 生野区役所 )のp7~8の「田島のめがね」によると、1913年(大正2年)には、田島村で電力による眼鏡専門工場が初めて生まれ、その後住民の努力により当時日本一の眼鏡生産地になったとあります。
さらに国内だけではなく、アジア、欧米諸外国へも輸出するようになり、田島神社の境内には、田島の人々を失業から救った石田太次郎の報徳碑が建てられ、毎年11月3日にはその功績をしのび、感謝祭が催されていると記されています。
・前掲の『生野郷土誌』や『大阪春秋 41号 大阪の伝統産業』(大阪春秋社 1984年)の「田島レンズの業祖石田太次郎(小中学生のための大阪歴史読本)」高橋敬蔵(p100~103)には、田島レンズの研磨法や輸出額等についても記載されています。
・大阪市生野区役所のホームペ-ジ>生野区あれこれ > 生野ものしり辞典にも「田島のめがねレンズ」が紹介されています。 http://www.city.osaka.jp/ikuno/about/know.html(2008年7月15日確認)
・『輸出向中小工業叢書 第3輯 眼鏡レンズ類 大阪市生野区田島町の業者を中心として』 小史(p7-10)にも、石田多次郎(ママ)など、明治から昭和初期の田島眼鏡の歴史についての記載があります。
2010.3追加
・『日本地誌 第15巻 大阪府・和歌山県』 (二宮書店,1977) 生野区田島町の眼鏡レンズ工場(p171)
説明文と、田島町(生野区)の眼鏡レンズ工場分布図、生野区田島地区の規模別眼鏡レンズ工場数(1974.4)の表があります。
・『広報いくの』56(2001年2月)には、「生野歴史ワールド 18 眼鏡レンズ発祥之地記念碑」が掲載されています。
- 回答プロセス
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大阪府立中之島図書館大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp(2010.3.7)を調査
他、当館所蔵資料を調査
- 事前調査事項
- NDC
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- 精密機器.光学機器 (535 9版)
- 参考資料
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『生野郷土誌』(大阪市小学校教育研究会生野支部 1952年 当館書誌ID: 0080248423 )
『生野の民話』(堀井守三編 [大阪市]生野区役所 2000年 当館書誌ID:0000816588 )
『大阪春秋41号 大阪の伝統産業』(大阪春秋社 1984年 当館書誌ID:0090000392 )
『生野区誌』(生野区創設十周年記念事業実施委員会編 大阪市生野区役所1953年 当館書誌ID:0000244943 )
『東成郡誌』上巻( 東成群役所編 名著出版 1972年 当館書誌ID:0070093555 p494)
『わがまち生野』(生野区役所 [1997] 当館書誌ID:0000625207 ) - 『輸出向中小工業叢書 第3輯 眼鏡レンズ類 大阪市生野区田島町の業者を中心として』 大阪府立商工経済研究所,1956<当館書誌ID:0000591497>
- 『日本地誌 第15巻 大阪府・和歌山県』 日本地誌研究所/編 ; 青野 寿郎/責任編集 ; 尾留川 正平/責任編集 二宮書店,1977<当館書誌ID:0070080523>
- 『広報いくの』56(2001年2月)<当館書誌ID:5200000983> (広報いくの 2001年1月-2006年12月号/55号-126号の合冊)
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『生野郷土誌』(大阪市小学校教育研究会生野支部 1952年 当館書誌ID: 0080248423 )
- キーワード
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- 田島
- レンズ
- 大阪府大阪市生野区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000045817